2020年5月26日火曜日

コロナ禍の「新しい生活様式」〜養蜂を夢想する

「新しい生活様式」などというと、そこになにがしかのウキウキ感があるはずだが、コロナ禍にあっては新鮮さも期待感も全く湧き起こらない。
この生活スタイルでは、これまでできていたことが全否定されるというほどではないにしても、別の手段手法だったり、他の活動への転換を迫られる。我が合唱もそうしたことの一つだ。
今一部でリモート合唱が試みられているが、それが合唱のあり方として定着するようには思えない。結局オンライン飲み会で憂さを晴らすことになりかねない。
ここまで書いてきたことを読み返してみると、否定表現の羅列に気がつく。そう、コロナそれ自体が人間に対してネガティブに働きかけるものだからだ。

何がきっかけだったか思い出せないのだが、コロナ禍で家に籠ることが多くなってから蜂蜜に興味を覚えるようになった。蜂蜜は特段目新しいものではない。健康美容にも良いとして日常的に口にする人も多いだろう。
思い返せば母親が病弱だったせいだろうか、子供の頃一時期我が家では1、8リットル瓶や一斗缶(18リットル)の蜂蜜を買っていた。
花の季節になると通学路に蜂箱が置いてあるのは見慣れた光景であった。蜂に刺されたことも一度ならずあったから、蜂蜜の甘美さには時にトゲを感じることもある。

この天然の甘味料はいったいいつまで遡るのだろうか。8000年前と推定されるスペインの洞窟絵画に蜂蜜を取る様子が描かれているそうだ。(ルーシー・M・ロング「ハチミツの歴史」 クマも愛する蜜の味を人類原初の時代から味わっていただろうことは容易に想像できる。
採集では自然の恵みは安定的に手に入らない。当然養蜂の歴史が始まるのだが、これがいつまで遡るのか。養蜂の歴史は巣箱の歴史ということになるのだろうが、先の図書によると古代エジプトの時代から作られてきたという。
他方日本はどうだろうか。ネットなどでは日本の養蜂の歴史は7世紀からとある。これは少し不思議に感じる。日本人は長い間この蜜の味を手に入れるのに採集に頼ってばかりいたということだろうか。今日の養蜂箱を見ると7世紀以前の日本人が作れなかった、思いつかなかったとは思えない。少し乱暴な言い方をすれば、養蜂は蜂に気持ち良く巣箱で営巣するように仕向けるものだろう。巣箱に構造の複雑さは必要ないように見える。ならばなぜ我が祖先は7世紀に至るまで蜂箱を作らなかったのか。
世界の蜂蜜に関わる民俗が教えることによれば、蜂蜜が単なる甘味料として食する物だけでなく、宗教儀式と結びついたり、洞窟絵画に見られるように紋様として描かれたりされてきた。日本の民俗誌に蜂や蜂蜜がどのように記されてきたか寡聞にして知らない。

日本列島には二種類のミツバチが生息しているわけだが、セイヨウミツバチは近代に養蜂とともに日本に入ってきたと考えていいだろう。一方在来種のニホンミツバチはいつから日本に住み着いたのだろうか。日本の石器時代以前から住み着いていたのなら、なぜ養蜂が7世紀以降と遅かったのか。あるいは古文書に記述がないだけで、もっと早くから養蜂が行われていたのかどうか。遺跡の発掘物の中に養蜂につながる出土品がないのだろうか。

しかしセイヨウミツバチ同様、渡来人によってもたらされた養蜂共々外から持ち込まれたとしたらどうだろう。菅原道夫氏によると日本書紀に「百済太子余豊がミツバチを奈良の三輪山に放して飼育した」という記事があるという。つまり日本のミツバチの歴史は渡来人による養蜂とともに始まり、それが野生化したのがニホンミツバチ、ということになる。また菅原氏によるとニホンミツバチと韓国に生息する東洋ミツバチは遺伝子的に大変近いそうだ。(菅原著「比較ミツバチ学」)もしそうだとすれば日本における養蜂の始まりの遅さの説明になる。

いまニホンミツバチ養蜂を趣味にする週末養蜂とか都市養蜂がそれなりのブームだそうだ。これなら実益も得られるのでコロナ禍で一層盛んになるかもしれない。
筆者はといえば、養蜂を夢見ながら冬籠りするクマというところか。



2020年5月14日木曜日

「新しい生活様式」

政府はコロナ禍における「新しい生活様式」を国民に求めている。
老後の無理のない文化活動として合唱を楽しんできた身には何とも嬉しくない報告がアメリカのCDC(防疫センター)から出ている。


point
・僅か2時間半の合唱練習で参加者のほとんどが新型コロナウイルスの   
 攻撃に晒された
・5人に1人は超拡散能力を持つ可能性がある
・咳があるかないかを感染の指標にするのは危険。

詳細は下記のURLで。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/05/fe29bcde20a52024d4f891530524c0a3.png





ほぼ合唱中心に回ってきた退職後の生活が今年の三月以来一変してしまった。まだ3ヶ月たらずなのに、長く感じられるのはこれまで経験したことがない事態であるだけでなく、先の見通しがないせいでもあろう。所属する合唱団では今年五月に予定していた演奏会を一年延期したが、それとて確実に開催できるかわからない。
政府が求める「新しい生活様式」は勿論感染防止のためのものであるが、個人としてはこれまでの生活スタイルを、勤務のあり方だけでなく、趣味も含めて生活全般の見直しを迫るものだ。
政府は視野に入れているかどうかわからぬが、この度の新型コロナウイルスによるパンデミックは仮に一二年で終息するとしても、また別のウイルスや細菌によるパンデミックを考えると、「新しい生活様式」を常態的なものとすべきかもしれない。なぜなら今世紀に入ってからでも三度のコロナウイルスや新型インフルエンザによるパンデミックがあいついだ。さらには今後より危険性の高い感染症に襲われないという保証はない。気候変動も新たな感染症を惹起するという指摘もある。
常に感染症を意識した生活スタイルを作ることは、果たしてできるのだろうか。

先のアメリカ防疫センターの報告は合唱団におけるクラスター感染であるが、前に述べたようにこれは舞台芸術全般に当てはまることだ。芸術のあり方そのものが問われている。






2020年5月9日土曜日

コロナ禍の中の合唱

最後のブログ投稿から3年経った。この間、老後としては少し忙しかったこと、心疾患治療、転居と、ブログを投稿する気持ちの余裕がかけていた。
今後はあまり間をおかずに投稿したいものだと考えている。

今後もブログ名「合唱雑記」にとらわれず、自由なテーマで話題を提供するつもりである。

さて、先ずは合唱の方だが、ご多分に漏れず今年(2020年)二月に始まった新型コロナウイルス感染症の大流行により、岐阜県の合唱団員に感染が広まったことにみられるように、密閉、密集、密接、いわゆる三密にぴたり当てはまる合唱活動は、日本全体どころか世界的流行(パンデミック)となった三月以降は、世界中で活動が停止してしまった。
活動停止して二ヶ月半、合唱仲間から聞こえてくるのは早く皆と一緒に歌いたいとの声ばかり。一方、合唱団員の中には歌どころじゃないという人もおられるだろう。これだけ経済活動も停止すれば収入が激減する人、職を失う人もいるだろう。早く歌いたいと思える人は幸せの部類だ。

合唱は本質的に三密無しには成り立たないアンサンブル芸術であるが、三密を避け、サイバー空間でオンライン合唱が出来まいか。そんな試みが今各地でなされている。
その先鞭を付けたのはたぶん東京混声合唱団だろう。KDDIの協力で作ったという動画がYouTubeにアップされている。これに触発されたのかどうか解らぬが、似たような動画が結構多く見られるようになった。海外でも同様だ。
しかし、同じ複製芸術としてもライブ録画とは出来が雲泥の違いに見える。やはり同じ空間で息づかい、眼差し、空気感を感じながら成り立つアンサンブルは、仮想空間では所詮無理なのだ。

コロナ禍の中、フリーランスで働くこのジャンルの人たちも大幅な収入減となってしまった。欧米に較べ、芸術活動への公費支出が乏しく、寄付文化のない日本では芸術文化の衰退につながりかねないこの度の困難に、政府は有効な手立てをするのだろうか。所属する合唱団でも指揮者、ピアニストへの手当をどうするかが今後の課題となっている。

2017年6月13日火曜日

J. シュトラウスの「鍛冶屋のポルカ」を歌う

所属する合唱団の定期演奏会が近づいた。
本番に向けステージでリハーサルをしたが、まだ歌い込みと「振り」が不十分なのが気にかかる。
この度の演奏会では「シュトラウスを歌う」と題するステージが組まれ、若干の「振り」が加わった。
歌うのが精一杯の高齢者の、何とも様にならない仕草がお客さんの微笑を誘うことになればいいのだが。
「シュトラウス」ステージの一曲がヨーゼフ・シュトラウスの「鍛冶屋のポルカ」。本来器楽曲のこの曲を日本語歌詞の合唱曲として歌う(薩摩忠作詞。石丸寛編曲)。
全体の構成を担当する先生から、主役は歌なので、金床をたたく鍛冶屋は演出過剰にならないように、シンプルにとの注文が付いた。鍛冶屋役二人は試行錯誤を重ねて今日まできたので、戸惑いを覚えただろう事は想像に難くない。団員の中にはこのままでいいのではないかとの声も少なからずある。団長は苦慮するところだ。

あらためてYouTube 動画サイトで様々な「鍛冶屋のポルカ」を見てみた。おそらく鍛冶屋役の二人もこれらの動画を参考にしながら、自分たちの合唱団の「鍛冶屋」を作ろうと工夫を重ねたはずだ。
元来きまじめなクラシック畑の人たち、特に器楽分野の人たちは、音楽以外の要素が入ることに消極的であるようにうつる。それでもこの「鍛冶屋のポルカ」では、多くの場合鍛冶屋扮するところの打楽器奏者が嬉々として「演じて」いる。時には、オーケストラメンバー以外が演じているのではと思われるものもある。そこでは主役は完全に鍛冶屋だ。

ウィーンフィルの演奏では、ボスコフスキー指揮のウィーンフィル・ニューイヤーコンサート1971、クライバーの1992年、マゼールの1994年、近年では2012年のヤンソンス指揮のものが動画で見られるが、マゼールとヤンソンスは自ら金床をたたいている。クライバーの「鍛冶屋」は金床は単なる打楽器の一つと言わんばかりに、生真面目に正確に金床をたたいている。演出たっぷりなのは1971年のボスコフスキーで、鍛冶屋役の奏者はコスチュームも替え、大袈裟に金床をたたくと、その前のオケメンバーが驚いて飛び上がる仕草も加わる。ボスコフスキーは指揮台から客席を振り返り、「どうです、楽しんでいますかあ」言わんばかりの表情。三つを較べると、クライバーは客の注意が自らのパフォーマンスから離れるのを嫌っているかのようで、楽しさに欠ける。自分でもたたくマゼールは打楽器奏者との共演。ヤンソンスの2012年では指揮台の前に金床を置き、音を出すことがない指揮者も、この時ばかりは奏者の仲間入りと言った具合。

ウィーンフィル以外の演奏ではどたばたでコミカルな演出も見られるが、演出はほぼパターン化されている。クライバーのウィーンフィルがそうであるように、ただ打楽器奏者が正確にたたくだけのもの。奏者が、帽子を被り、前掛けをする、途中でビールを飲み、汗を拭く仕草を加えるもの(ボスコフスキーの1971年)。さらに金床の調音(実際は無理)。
演出に応じて用意されるものは、音程の異なる二つの金床、ハンマーの他、小物として、前掛け、帽子、ビール、タオル、さらにはピッチを調整するためのヤスリ、刷毛まである。特大のハンマーを用意する場合もある。

この度のリハーサルでも客席から金床のピッチが指摘された。ウィーンフィルのは特注で作らせたのだろうと思うほどだ。ピッチの問題を演出に取り込んでいる動画もある(ピッチを合わせるために、金床を削る仕草をする)。
われわれの演奏会のために用意した金床は団長が鉄道会社に掛け合ってもらい受けてきたものだが、昔は田舎ではどこの家にもレールを切った金床があったものだ。ホームセンターに行けばアンヴィルが売っているが、たたき較べるほど多くは置いていない。

さて、指導の先生は主役は歌とおっしゃるが、この度の歌詞の内容から見ても鍛冶屋が主役でもいっこうにおかしくない。日本語題名が「鍛冶屋のポルカ」だからではない。この命名は誰によるものなのかは知らないが、ドイツ語はFeuerfest。「耐火の」と言う意味の形容詞。中国語でもこのポルカを「耐火的」と呼んでいるようだ。
この曲の解説にあるように、工具メーカー経営のWertheim が盗難に遭い、それをきっかけに耐火金庫の開発・発売を開始、累計20,000個販売を記念して、ヨーゼフ・シュトラウスにこの曲の作曲を依頼、お祝いの舞踏会で作曲者自身の指揮による初演が行われた。Feuerfest 題されたのも、この金庫の発売に先立つ宣伝として、コンスタンティノープル(イスタンブール)で、耐火金庫の耐火公開実験を行ったことにある。

ドイツ語 Fest は名詞としては「祝宴」の意味でもある。そのため、ウエブサイト中には、Feuerfest を英語でfire festival と訳しているものがあるが、これは間違い。しかし、派手な金床の音が主役のこの曲は祝祭的な響きを持っているように感じられる。そう考えると、クライバーの「鍛冶屋」はあまりに行儀の良い、退屈な演奏に感じるのだが。


                                                                 2017-6-13  

2017年6月6日火曜日

「テロ等準備罪」法案、そして「加計学園」問題

 通称「テロ等準備罪」法案が参議院に送られ、審議が始まった。「共謀罪」の通称が使われる事があるように、何ともわかりにくい法案だ。過去に何度か廃案になった「共謀罪」法案が安倍政権のもとで装いも新たに復活。正確には「組織的犯罪処罰法改正案」というらしい。277の組織的犯罪を計画し、資金調達などの準備行為を処罰する内容だ。277もの例を挙げられるように、広範囲の組織的犯罪が対象になる。
 問題はこのような組織犯罪が実行に移された後ではなく、準備段階が取り締まりの対象になる点である。さらに、組織的犯罪集団かどうかを判断するのはあくまでも捜査機関であること。準備段階からの捜査となると、当然内偵などスパイ行為が必要になる。一層国民監視が強まることは必至だ。平成の「治安維持法」と呼ばれるゆえんだ。
 おそらく、この法案が成立すれば、早晩新たな「公安警察」が組織されることになるだろう。少なくとも、警察組織の大幅な改編と増員が必要になる。端的に言って、この法案は、国民の暮らしがより安全になるものなどではなく、戦前の治安維持法がそうであったように、国民に刃向かうものだ。

 かつて東欧圏の社会主義国家には市民を監視、密告を奨励する保安機関が存在した。旧東独では通称「シュタズィ」(Staatssicherheitsdienst の略。国家保安省)とよばれた。人口1600万人ほどの国家に、2万数千人の正規職員の他に、いわゆる協力者と呼ばれるその数十倍もの密告者が日常的に働いていた。電話の盗聴、郵便の開封は当たり前、それらを前提に市民は声を潜めて生活していた。
ロシアのプーチン大統領は旧ソ連のKGBの出身だが、旧ソ連だけでなく、お隣中国にも「国家安全部」と称する国民にとっては全く安全でない公安組織がある。筆者をウイグル自治区に案内してくれた留学生が「安全部」職員から事情聴取を受け、とても怖かったと述懐していたことを思い出す。また他の留学生は日本人の友達を伴ってウイグル自治区に帰ったところ、やはり安全部に呼ばれ9時間に上る聴取を受けたそうである。日本人の友達も3時間拘束されたという。

 今の中国がそうであるように、権力が腐敗してくると、国民の批判を恐れ、異論を廃し、強権的に国民に向かうようになるのは古今東西を問わない。国民の批判の先頭に立つのはメディアだが、当然このよう権力はメディア支配を強める。日本で最大の購読者を持つ新聞が政権の御用達と化しているのは非常に危惧すべき事態だ。


 「森友学園」に始まって、今「加計学園」問題が政権を揺るがせている。「共謀罪」法案の重大性に比べれば、小さな権力乱用、腐敗問題だ。しかしこの度の問題を通してこの政権を担っている人物たちがどのように権力を乱用するかがよく解る。
 過去50年あまり獣医学部の新設がなかったのだから、さらにはペットブームは相変わらずで、獣医師をもっと養成する必要があるだろう、そのように考える国民も多いだろう。
 現在一年に約1000名の獣医師が誕生する。今から約30年あまり前に、それまで、獣医学部で4年間の教育を受ければ、国家試験を受験することができたものを、医師免許と同様、6年制にあらためられた。
 獣医師の地位向上の意味もあっただろうが、それよりも獣医師の過剰を緩和するために実質2年間新規の獣医師を世に送り出さないことで調整を図った。獣医師の関係省庁は農水省だが、農水省は業界団体の強い要請があり、文科省に対しても獣医学部の新設、増設を認めないよう働きかけてきた。
 現在大学は少子化の影響で、約半分の大学で定員割れを起こしている。いわゆる団塊世代二世の1973年生まれは206万、昨年はついに100万人を割った。団塊世代二世の時代の大学定員はほとんど変わらない。
 この度の「加計学園」が計画している獣医学部定員は160名。国公立大学に比べて多い私学の獣医学部定員でも120名程度だから、他の関係私立大学は戦々恐々としているだろう。農学部、畜産関係学部を持たない学校法人の獣医学部新設も異常なら、その定員の多さも驚くほかない。
 通常私立大学のキャンパスが経営的に成り立たせるには学部、大学院の総定員数は2500~3000名は必要だ。この度の計画ではせいぜい1000~1100名であろう。高額の学費を設定しなければ成り立たない。学生を集めるのも大変であろうが、教員を集めることにも困難が伴うことは容易に想像できる。学生の質も、教員の質も多くは望めない。この度の加計問題はなんとも不思議に見える。

 獣医学部新設を認めない姿勢を取ってきた文科省は間違っていない。強権的な性格を剥き出しにしつつある安倍政権のもとで、その文科省は今蜂の巣をつついたような状態ではなかろうか。文部行政を冷ややかに見てきた筆者も、このたびは情報を漏洩した前川前次官を始め文科省職員にエールを送りたい気持ちだ。
 おそらく安倍官邸は報復人事を敢行するであろうが、このような時こそ卑劣な人間をとくと拝見できるものだ。


                                      2017-6-6

2017年5月14日日曜日

「不都合な信実」から目をそらすことなく~Jリーグ浦和レッヅ対鹿島アントラーズの試合をめぐって



久しぶりのブログ。しかし話題はサッカーの試合。おつきあいを。

54日、Jリーグ第10節浦和レッヅ対鹿島アントラーズの試合が浦和のホーム埼玉スタジアムで開かれた。いつもそうなのだが、私はこの試合をTVで観戦した。昨年、年間勝ち点では鹿島を大きく上回った浦和が、チャンピオンシップで鹿島に敗れ、2016年Jリーグ王者の座に付くことができなかった。それだけに、浦和にとってはこの10節の対鹿島戦は2017年Jリーグ序盤戦とはいえ、どうしても負けられない一戦であった。一方の鹿島にとってもライバルとの一戦は勝ち点6にも匹敵する戦いと位置づけ、埼玉スタジアムの乗り込んできた。
試合は当然のことながら、緊張感に満ちた好試合であった。ボールのキープ率では浦和が上回り、浦和が押し気味で試合は推移しているように見えたが、鹿島は浦和に対して決定的なシュートを打たせず、決定機はむしろ鹿島に分があった。前半24分鹿島アントラーズの金崎のシュートが相手DF森脇の足にあたってコースが変わり先制する。後半に入ると浦和の焦りも手伝って鹿島の堅い守りを崩せず、結局この前半の金崎のゴールが決勝点となり、浦和は前節大宮戦に続く連敗となった。

このライバル同士の試合、人気の浦和対実力の鹿島の一戦、好試合に一つ大きな汚点を残したトラブルがあった。後半、残り15分を切った頃、浦和サイドでの攻防で、こぼれたボールを鹿島の土居がコーナーフラッグ付近にボールを運び、時間稼ぎのためのボールキープに入った。このボールを奪い取ろうとする浦和の槙野と競り合い、そこに前線から戻ってきていた興梠も加わり、もみ合いになった。微妙な判定ではあったが、土居のファールが宣告され、浦和ボールで再開されるところであったが、焦りが手伝ったのだろう、興梠がこのもみ合いの中で、土居を突き倒してしまった。これが事の発端である。
鹿島キャプテン小笠原が主審にイエローカードを出すようアピールする。金崎、レオ・シルバ、鈴木も興梠に詰め寄ろうとしているが、試合巧者の鹿島らしく、この機をとらえて時計を進めようとしていて、それほどエキサイトしているようにも見えない。ところが、そこへ浦和DFの森脇が走り寄り、レオ・シルバに絡む。これにシルバの表情が急変するのが見て取れる。森脇にシルバを挑発するような言動があったと容易に察せられる。この直後、主審にアピールしていた小笠原がそれに気づき森脇に詰め寄ろうとするが、浦和のDF那須や西川、ラファエル・シルバが両者の間に入り、浦和ボールで試合が再開する。
強いライバル関係にある両軍による緊張感のある試合とはいえ、エキサイトが昂じた荒れた試合などではなかった。問題の場面でも、両軍入り乱れての乱闘騒ぎになったわけでもない。浦和のキャプテン阿部や当事者の土居もこの揉め事を傍観している様子がうかがえる。明らかに、森脇の言動がシルバを怒らせ、小笠原の問題提起につながった。
アントラーズ勝利に終わった後、クールダウンした小笠原がメディアに対して、問題の場面で、森脇選手がレオ・シルバに「くせえな、おまえ」と侮蔑的な言葉を吐いた、と訴え、これは今回に留まらず、これまで繰り返されてきたことだと問題提起した。これに対して、森脇はこの暴言自体は小笠原に向けたものだといい、シルバに対してのものではない、と否定した。これらについてはネットでも問題の映像共々大きく取り上げられているので詳細は省く。
鹿島アントラーズはマッチコミッショナーを通じて、Jリーグに森脇選手の言動について規律委員会において調査するよう求めた。一方浦和レッズも当事者の森脇や他の浦和の選手への聞き取りを行った結果として、森脇選手の言い分を否定するものはなかったと報告した。
Jリーグ規律委員会は両軍およびこの試合のレフリーからの報告、さらには森脇選手と小笠原選手のヒアリングを行い、森脇選手の侮蔑的な発言について、それが誰に向けられたものかは不明として、森脇選手の2試合出場停止処分で決着を付けた。この処分についてネット上では様々な評価がされている。単なる暴言と考えるなら、重いともいえるし、過去の海外の例を含め、妥当と判断することもできる。
しかし、小笠原選手の問題提起に対して、規律委員会はその組織にふさわしい調査をしたのか、と言う点で禍根を残したといえる。森脇の暴言について、よく言えば疑わしきは罰せず、の原則に従ったともいえるが、それは誰もが納得のいく調査が前提だ。映像を見れば森脇が最初に絡んだのはレ・シルバに対してのものであることは明らかだ。ならばなぜレオ・シルバからのヒアリングを行わなかったのかが大きな疑問となる。小笠原の、さらには鹿島側の問題提起もポイントはそこにあったのだから、当事者からのヒアリングは欠かせないはずだ。

この度の決着は、浦和はもとより、Jリーグにとっても外国人選手差別につながらない結論が先にあったとしか見えない。その点では運命共同体としての両者の思惑が一致している。浦和の報告もこの結論を先取りしているようにも見える。小笠原の聞き取りは40分、森脇のそれは90分と伝えられている。しかし森脇によると、自分の言い分をヒアリングに於いて十分聞いてもらえた、という。規律委員会とはいえ、査問ではなく、ゆるい聴聞であったようだ。問題提起した鹿島の顔を立てつつ、森脇の対象不明の侮蔑的発言を断罪する、まるで森脇の独り言であったかのように。

2015年10月27日火曜日

Lotosblume は「蓮」か、はたまた「睡蓮」か  ー シューマンの「蓮の花」を歌う


所属する合唱団で、ハイネの詩によるシューマンの「蓮の花」の練習があった。
この曲はもとより合唱曲ではないが、増田順平先生が合唱曲に編曲したもの。歌詞はしのかおるさんによる。

さて、原詩のLotosblumeだが、大半の独和辞典には「蓮」とある。しかし、かつて「木村・相良独和辞典」として大勢の学徒に親しまれた博友社の辞書では、Lotosblumeに「睡蓮」の日本語訳をあてがっている。この辞書の後に出版された比較的新しい辞書ではいずれも「蓮」としている。それによったのであろう、ネット上のこの詩の日本語訳も大半が「蓮」としている。
しかし中に一つ、以前は「蓮」としていたものを訂正と断って「睡蓮」に書き換えたものがある。その理由はつまびらかではないが、もしかすると原詩の中の第2連「月はその光で蓮を目覚めさせ、蓮はにっこりとしてヴェールを取って月にその慎ましい顔を見せる」から、夜咲く「睡蓮」を考えたのかもしれない。
「蓮」は日中に花開くものであろうし、「睡蓮」にしても昼間咲くものが大半だが、北東アフリカを原産とする和名「夜咲き睡蓮」別名「エジプト睡蓮」は夜半に白い花を開くという。ハイネはこの夜咲き睡蓮を歌ったのであろうか。

ほぼ半世紀ほど前になろうか、ほんの短い期間教えを受けたことがあるR. シンツィンガァ先生が編んだ『ドイツ詩集』(第三書房刊)の中で、先生は「蓮は夜明けに咲くが、ハイネは多分実際の蓮は見たことが無く、夕暮れに花開くと思っていたのだろう。ロマン派の詩人には現実のことはそれほど意味をなさないのだ」(69-70頁)と書いている。

先に触れたように、ドイツ語Lotosblumeの訳語として独和辞典は二派に分かれるのだが、この場合学名をもとにすれば混乱を避けられるであろう。
ドイツの百科事典やDudenなどの辞書ではLotosblumeの学名をNelumboとしている。日本語の「蓮」を百科事典で調べると同じ学名が挙げられている。一方、「睡蓮」を意味するドイツ語Seerose の学名はNymphaea。学名をもとにすれば、ドイツ語のLotosblumeは「蓮」とすることに疑いがない。やはり、ハイネの詩的誤解なのだろうか。

別の可能性として、ハイネは夜咲きスイレン(学名Nymphaea lotus)を知っていて、Lotosblume を広義に捉えていたのかもしれない。
百科事典によればSeerose の範疇にLotosblume も入るぐらいだから、異国的な花にはSeeroseよりもLotosblumeあるいはLotus とギリシア語由来の語をあてがったこともかんがえられる。

シューマンの歌曲を合唱曲に編曲して歌うこの度の試み、日本語の詩も良いのか、歌って楽しいし、聴いても良い曲に仕上がりそうだ。再来年のステージが楽しみだ。
                                                                                 2015-10-27