言うまでもないことだが、おなじ音楽でも器楽曲と声楽曲との本質的な違いは、後者では旋律に言葉がまといついていることである。しかも、言葉が持つ子音や母音の響きが個々の音に彩りを与え、言葉の意味が旋律に色合いを添える。
優れた作曲者や、作詞者はこれらのことを意識的に、また時に無意識的にこなしているのだろう。他方、声楽の演奏者は歌唱の中で言葉の響きを音に調和させ、意味を表現することに苦心する。
西洋音楽は教会音楽とともに発展してきたが、世俗的な音楽を含め、当初は詩文に音楽が寄り添うものであった。やがて、音楽は言葉から離れ、独立して、新たな形式を求め、音楽の文法に則って作られるようになる。言葉は背景に追いやられ、意味は作曲者の想念の中に身を潜める。器楽曲の隆盛の時代を迎える。
しかし人は歌うことを止めなかった。ヒトには言葉により物事を表象し、表現する基本的欲求があるからである。言葉による点では声楽は文学に重なる。違いは前者が楽音と結びつく点である。
われわれアマチュアの合唱愛好者は歌う中で様々な言葉にであう。事前作業として、当然言葉の意味、歌詞が作られた背景、作曲者がその詩文と出会った経緯、外国語の歌なら、発音と語の意味、歌詞全体の意味を調べ、詩と音楽の幸福な出会いを確認する。訳詞の場合には、時々原詩とは全く曲想が違って見えるようなこともあって、興味深い。こうした下調べも歌う楽しみに入る。
言葉と音楽が常に蜜月関係にあるとは限らない。旋律や和声、リズムが優先され、言葉が貶められているように見える曲もあれば、逆に、旋律に言葉を無理に押し込んだとしか思えない曲もまれにある。
願わくは、音楽が言葉を引き込んでいるような曲、または言葉が音楽を紡ぎ出しているような曲を歌いたいものだ。
2013年6月5日水曜日
2013年1月28日月曜日
合唱団と指導者・指揮者の関係
大方の合唱団は指導者・指揮者と良好な関係を保ち、楽しく合唱練習に励んでおられるであろう。しかし、一部には指導者との間に軋轢が生じたり、あるいは様々な不満を抱え、鬱屈したまま次第に団員の足が遠のくような合唱団もあるかもしれない。そこまで重症でなくとも、選曲や練習方法のマンネリ化から活動が停滞している合唱団もあるかもしれない。
筆者が所属する合唱団で最近指揮者の交替があった。団員の一部には指揮者への不満があったようだが、おおかたは指揮者に同情的であったし、積極的に支持する声もあった。にもかかわらず苦渋の選択として指揮者の交替に踏み切りざるを得なかったのは、筆者の理解するところでは、つまるところ10年近く勤めた指揮者への「飽き」であったように思われる。理由は様々であろうが、次第に足が遠のく人も目立ってきていた。新しいメンバーが加わればいい刺激となり、組織も活性化するのだが、それもなく、むしろ比較的最近加わった人が離れていったこともこたえた。新しいメンバーが加わらないのだから、当然のことながら合唱団構成メンバーの平均年齢が上がる一方で、合唱レベルは現状維持が精一杯、むしろ後退すら見られるようになって来ていた。合唱団のじり貧どころか5年先、10年先の存続も危ぶまれた。特に創立以来のメンバーは事態を深刻に受け止め、町唯一のこの混声合唱団の灯火をなんとか守りたいと考えた。出した結論は団をいったん解散して、団の名称や指揮者、練習日を変え、新規に団員を募り、再出発することだった。前指揮者も理解を示し、足が遠のいていた団員も戻り、新たに数名が加わり、新しい指揮者のもと再スタートしたが、今のところは上々の滑り出しである。
これら一連のプロセスに立ち会い、一団員として考えたことは、同好会的合唱団にも指導者・指揮者との間に「契約」と「評価」が必要だということである。これらは指揮者に対して厳しい態度をとると映るかもしれないが、契約を結ぶに当たって合唱団として目的や自己コンセプトを明確にする必要があるし、そのためには団としての自己評価が前提となる。大学においては学生による授業評価・アンケートが制度化されてすでに20年あまりになるが、学生に対して自己評価も合わせて求めているのが一般的である。
評価は契約更新のためにも必要であろうが、指導・練習の改善に役立てるのが本来の目的で、一方的に指導者を評定するものではない。評価は双方的であるべきだし、また必ず自己評価を含むものであるべきだ。通常こうしたたぐいの評価は団員によるアンケートによることになるであろうが、決して指導者への不満のはけ口となってはならない。そのためには評価方法、評価項目の設定が重要となる。日本合唱連盟あたりにひな形を作ってもらえればと思う。もしかすると、筆者だけが知らず、すでにあるのかもしれないし、一部では行われているのかもしれない。
もちろん全ての合唱団においてこれらが必要であるとはいわない。優れた指導者なら自省的で、団員の反応から指導練習を手直しするであろう。しかし程度の差こそあれ、わが合唱団が抱えた問題を共有する合唱団は少なくないのでは無かろうか。いまは蜜月関係にあっても、時間を経るとともに倦怠期を経て破綻を迎えることになるかもしれない。
契約の更新と相まって、評価は適度の緊張と刺激を持たらすものでもある。練習が惰性に流れないようにするためにも、制度として「契約」と「評価」を取り入れたいものだ。
筆者が所属する合唱団で最近指揮者の交替があった。団員の一部には指揮者への不満があったようだが、おおかたは指揮者に同情的であったし、積極的に支持する声もあった。にもかかわらず苦渋の選択として指揮者の交替に踏み切りざるを得なかったのは、筆者の理解するところでは、つまるところ10年近く勤めた指揮者への「飽き」であったように思われる。理由は様々であろうが、次第に足が遠のく人も目立ってきていた。新しいメンバーが加わればいい刺激となり、組織も活性化するのだが、それもなく、むしろ比較的最近加わった人が離れていったこともこたえた。新しいメンバーが加わらないのだから、当然のことながら合唱団構成メンバーの平均年齢が上がる一方で、合唱レベルは現状維持が精一杯、むしろ後退すら見られるようになって来ていた。合唱団のじり貧どころか5年先、10年先の存続も危ぶまれた。特に創立以来のメンバーは事態を深刻に受け止め、町唯一のこの混声合唱団の灯火をなんとか守りたいと考えた。出した結論は団をいったん解散して、団の名称や指揮者、練習日を変え、新規に団員を募り、再出発することだった。前指揮者も理解を示し、足が遠のいていた団員も戻り、新たに数名が加わり、新しい指揮者のもと再スタートしたが、今のところは上々の滑り出しである。
これら一連のプロセスに立ち会い、一団員として考えたことは、同好会的合唱団にも指導者・指揮者との間に「契約」と「評価」が必要だということである。これらは指揮者に対して厳しい態度をとると映るかもしれないが、契約を結ぶに当たって合唱団として目的や自己コンセプトを明確にする必要があるし、そのためには団としての自己評価が前提となる。大学においては学生による授業評価・アンケートが制度化されてすでに20年あまりになるが、学生に対して自己評価も合わせて求めているのが一般的である。
評価は契約更新のためにも必要であろうが、指導・練習の改善に役立てるのが本来の目的で、一方的に指導者を評定するものではない。評価は双方的であるべきだし、また必ず自己評価を含むものであるべきだ。通常こうしたたぐいの評価は団員によるアンケートによることになるであろうが、決して指導者への不満のはけ口となってはならない。そのためには評価方法、評価項目の設定が重要となる。日本合唱連盟あたりにひな形を作ってもらえればと思う。もしかすると、筆者だけが知らず、すでにあるのかもしれないし、一部では行われているのかもしれない。
もちろん全ての合唱団においてこれらが必要であるとはいわない。優れた指導者なら自省的で、団員の反応から指導練習を手直しするであろう。しかし程度の差こそあれ、わが合唱団が抱えた問題を共有する合唱団は少なくないのでは無かろうか。いまは蜜月関係にあっても、時間を経るとともに倦怠期を経て破綻を迎えることになるかもしれない。
契約の更新と相まって、評価は適度の緊張と刺激を持たらすものでもある。練習が惰性に流れないようにするためにも、制度として「契約」と「評価」を取り入れたいものだ。
2013年1月6日日曜日
暮れのウィーン旅行
久しぶりでウィーンに出かけた。孫娘の「ウィーンのクリスマス市を見てみたい」の一言に大人たちが反応し、家族親戚総勢8名のウィーン滞在旅行と相成った。今は便利になったもので、飛行機便やホテルの予約から各種チケットの手配まで、全てインターネットで出来る。電話一つかける必要もない。
ほぼ十年ぶりのウィーン。すっかり勝手が違うだろうと覚悟して出かけたが、当然のことながら、町の様子は変わらない部分が多く、変化に弱い高齢者は安心した。それでも観光客の多さ、特に、アジア系の人の多さには目を見張った。ほぼ四半世紀前に長期滞在した時にはアジア系はほとんど日本人だけであった。アジアの経済発展ぶりがこんな面にも表れている。
あちらでは店の営業時間は「閉店法」という法律で規制されているのであるが、以前は土曜日は休日またはせいぜい12時か12時半までの営業、日曜日はもちろん閉店、クリスマスイヴ、クリスマス、大晦日も休業であったものが、今ではイヴや大晦日でも2時、3時まで営業するようになっている。昔ウィーン出身の知人が、欧米社会で最も労働時間が少ない国はオーストリアだ、と自慢げにいっていたのを懐かしく思い出される。
全く変わらないものの一つに、市内を縦横に走る便利な交通機関の車内放送がある。停留所、停車駅の案内、乗り換え、さらには社会的弱者に席を譲るよう求めるアナウンス。アナウンスの声まで変わらないのだ。
一枚の切符でバス、地下鉄、市街電車、近郊電車を利用できる便利さは相変わらずだ。到着したのが23日(日)の夕方だったので、月曜から1週間有効となるWochenkarte (1週間乗車券)€15(約¥1650)を購入。遠出しない限り、これでまるまる1週間乗り放題だ。
滞在したホテルはウィーン19区にあって、Livinghotelとうたったホテル。部屋にキッチンが付いていて少し長い滞在には助かる。ホテルの両隣が、"Spar"と"Billa"、ウィーンではどこでも見かけるスーパーだ。 ウィーン料理に飽きるとスーパーでおかずを買い、日本から持参した米を炊いて自炊するのも楽しい。
ウィーン19区というと、いわばウィーンの山の手。実際都心や他の区から見ると少し標高も高く、13区、18区と並んでウィーンの富裕層が大勢住む閑静な住宅街。ホイリゲで名高いグリンツィングGrinzingもこの区にある。38番トラム終点から38Aのバスに乗り継ぎ、いわゆるウィーンの森を成す山の一つ、カーレンベルクには簡単にいける。昔「ウィーン何でも十傑」という週刊誌の記事で、「ウィーン人が最も住みたい街ベストテン」にこの19区からベストワンを始めいくつも選ばれていた。
ホテルは都心まで市街電車で20分ほど。地図で見ると不便そうに見えるが、バスで10分足らずで地下鉄U4の起点ハイリゲンシュタットHeiligenstadtに。ハイリゲンシュタットは引っ越し魔でもあったベートーヴェン縁の街である。地下鉄U4を利用すれば、都心のどこでも簡単にアクセスできる。
寒い季節に出かけたので、屋外の行動はあきらめ、オペラやコンサートのチケットを手配しておいた。孫たちが退屈しないように、子供でも楽しめるプログラムを考慮して、フォルクスオーパーの「ヘンゼルとグレーテル」と国立歌劇場のバレー「くるみ割り人形」、楽友協会ブラームスホールでは、日本でも馴染みの「ウィーン・リング・アンサンブル」のジルベスター・コンサートで一足早いミニ ニューイヤー・コンサート、さらには「フィガロの結婚」を鑑賞。さすがに孫たちは話の込み入った「フィガロ」は眠かったらしい。我が家で人気のウィーンフィルコンサートマスター ライナー・キュッヒルさんが、「くるみ割り」でもコンサートマスターを務め、リング・アンサンブルではヴァイオリンの他、大太鼓をも担当で孫も大喜び。キュッヒルさんはおそらく世界で最も忙しいコンサートマスターではなかろうか。リング・アンサンブルのコンサートがあった30日は昼間の11時からウィーンフィルのニューイヤーコンサートの期日前公演でコンサートマスターを務めている。現在62才の彼は21才でウィーンフィルの第2コンサートマスターに就任。ヘッツル氏が山で遭難死してからは第1コンサートマスターに。1昨年には日本政府から叙勲も受けている。
帰国前日の日曜日には、街のシンボル聖シュテファン大寺院St.Stephansdomの日曜ミサに参列。といっても非キリスト教徒なので、後列でそっと見守るというのが実態。このような宗教行事もウィーンの月間プログラムに掲載されているので、ミサにおける音楽を鑑賞する目的で参列できる。
肝心のウィーンのクリスマス市の方だが、到着が23日夕方であったので、翌24日のイヴに市庁舎前広場の市と26日にシェンーブルン宮殿の市に出かけた。豊富なものに囲まれて育った若い世代にはクリスマス市もさほど興奮を呼ぶものではなさそうで、Glühwein(赤ワインに甘味とシナモンを加えて温めた甘酒)を飲んで早々と退散。この度は暖冬で、カーレンベルクにも全く雪が無く、暖冬で、東京よりも暖かいほど。この季節には珍しく、後半は快晴に恵まれ、皆満足して元旦に帰国。
ほぼ十年ぶりのウィーン。すっかり勝手が違うだろうと覚悟して出かけたが、当然のことながら、町の様子は変わらない部分が多く、変化に弱い高齢者は安心した。それでも観光客の多さ、特に、アジア系の人の多さには目を見張った。ほぼ四半世紀前に長期滞在した時にはアジア系はほとんど日本人だけであった。アジアの経済発展ぶりがこんな面にも表れている。
あちらでは店の営業時間は「閉店法」という法律で規制されているのであるが、以前は土曜日は休日またはせいぜい12時か12時半までの営業、日曜日はもちろん閉店、クリスマスイヴ、クリスマス、大晦日も休業であったものが、今ではイヴや大晦日でも2時、3時まで営業するようになっている。昔ウィーン出身の知人が、欧米社会で最も労働時間が少ない国はオーストリアだ、と自慢げにいっていたのを懐かしく思い出される。
全く変わらないものの一つに、市内を縦横に走る便利な交通機関の車内放送がある。停留所、停車駅の案内、乗り換え、さらには社会的弱者に席を譲るよう求めるアナウンス。アナウンスの声まで変わらないのだ。
一枚の切符でバス、地下鉄、市街電車、近郊電車を利用できる便利さは相変わらずだ。到着したのが23日(日)の夕方だったので、月曜から1週間有効となるWochenkarte (1週間乗車券)€15(約¥1650)を購入。遠出しない限り、これでまるまる1週間乗り放題だ。
滞在したホテルはウィーン19区にあって、Livinghotelとうたったホテル。部屋にキッチンが付いていて少し長い滞在には助かる。ホテルの両隣が、"Spar"と"Billa"、ウィーンではどこでも見かけるスーパーだ。 ウィーン料理に飽きるとスーパーでおかずを買い、日本から持参した米を炊いて自炊するのも楽しい。
ウィーン19区というと、いわばウィーンの山の手。実際都心や他の区から見ると少し標高も高く、13区、18区と並んでウィーンの富裕層が大勢住む閑静な住宅街。ホイリゲで名高いグリンツィングGrinzingもこの区にある。38番トラム終点から38Aのバスに乗り継ぎ、いわゆるウィーンの森を成す山の一つ、カーレンベルクには簡単にいける。昔「ウィーン何でも十傑」という週刊誌の記事で、「ウィーン人が最も住みたい街ベストテン」にこの19区からベストワンを始めいくつも選ばれていた。
ホテルは都心まで市街電車で20分ほど。地図で見ると不便そうに見えるが、バスで10分足らずで地下鉄U4の起点ハイリゲンシュタットHeiligenstadtに。ハイリゲンシュタットは引っ越し魔でもあったベートーヴェン縁の街である。地下鉄U4を利用すれば、都心のどこでも簡単にアクセスできる。
寒い季節に出かけたので、屋外の行動はあきらめ、オペラやコンサートのチケットを手配しておいた。孫たちが退屈しないように、子供でも楽しめるプログラムを考慮して、フォルクスオーパーの「ヘンゼルとグレーテル」と国立歌劇場のバレー「くるみ割り人形」、楽友協会ブラームスホールでは、日本でも馴染みの「ウィーン・リング・アンサンブル」のジルベスター・コンサートで一足早いミニ ニューイヤー・コンサート、さらには「フィガロの結婚」を鑑賞。さすがに孫たちは話の込み入った「フィガロ」は眠かったらしい。我が家で人気のウィーンフィルコンサートマスター ライナー・キュッヒルさんが、「くるみ割り」でもコンサートマスターを務め、リング・アンサンブルではヴァイオリンの他、大太鼓をも担当で孫も大喜び。キュッヒルさんはおそらく世界で最も忙しいコンサートマスターではなかろうか。リング・アンサンブルのコンサートがあった30日は昼間の11時からウィーンフィルのニューイヤーコンサートの期日前公演でコンサートマスターを務めている。現在62才の彼は21才でウィーンフィルの第2コンサートマスターに就任。ヘッツル氏が山で遭難死してからは第1コンサートマスターに。1昨年には日本政府から叙勲も受けている。
帰国前日の日曜日には、街のシンボル聖シュテファン大寺院St.Stephansdomの日曜ミサに参列。といっても非キリスト教徒なので、後列でそっと見守るというのが実態。このような宗教行事もウィーンの月間プログラムに掲載されているので、ミサにおける音楽を鑑賞する目的で参列できる。
肝心のウィーンのクリスマス市の方だが、到着が23日夕方であったので、翌24日のイヴに市庁舎前広場の市と26日にシェンーブルン宮殿の市に出かけた。豊富なものに囲まれて育った若い世代にはクリスマス市もさほど興奮を呼ぶものではなさそうで、Glühwein(赤ワインに甘味とシナモンを加えて温めた甘酒)を飲んで早々と退散。この度は暖冬で、カーレンベルクにも全く雪が無く、暖冬で、東京よりも暖かいほど。この季節には珍しく、後半は快晴に恵まれ、皆満足して元旦に帰国。
2012年10月20日土曜日
バスクの合唱団
マーラーの交響曲第2番「復活」の演奏会が間近に迫った。市民オーケストラと市民合唱団を母体に、この演奏会のために結成された大半がアマチュアのメンバーであるが、オケ合わせを重ねるに従い、良くなってきた。前回の練習時には、合唱団はいつ立ちあがるかの指示があった。You Tube などで、どのタイミングで立つのか少し調べてみた。その中でこれはいいなと感じたのは、以前録画してあった2003年8月のルツェルン音楽祭でのアッバド指揮による演奏である。合唱団は合唱部分の半分は座ったままで、途中「勝ち取った翼で光に向かって飛び去ろう」が始まる前のところで立っている。ヴィデオでは立ち上がる場面が映っていないので、正確なタイミングはわからないが、この合唱部分に先行するソプラノとアルトのソロが歌われているときに違いない。歌詞の内容から見て、これもありだな、と思った。
ところで、以前は見逃していたのだが、この演奏で歌っている合唱団はオルフェオン・ドノスティアラ Orfeon Donostiarra というスペイン北東部バスク地方の合唱団である。映し出されるメンバーの顔ぶれを見ていると、職業が様々のアマチュアの合唱団かと思ったが、それにしては技術も確かなので、改めて調べてみたところ、1897年にバスクの主要都市サン・セバスティアンで結成された110年以上の歴史のある合唱団ということである。これまでに名だたるオーケストラやマエストロたちとも共演している。その中には小澤征爾も含まれる。この合唱団のコンセプトの一つにバスク地方の音楽の保存と普及があげられている。更には結成以来アマチュアを維持しながら、高い芸術性とハーモニーの美しさへの飽くなき情熱を掲げる。(本合唱団ホームページ)
欧州経済が混迷を深める中で、その震源地の一つに挙げられるスペインでは、バルセロナがその州都であるカタルーニャ自治州とバスク自治州がスペインからの分離独立を求める動きを強めている。両自治州は歴史的にみても常にマドリッド中央政府から遠心力を働かせてきたが、特にフランコ独裁体制のもとでは過酷な弾圧を受けた。ピカソの「ゲルニカ」は、スペイン内戦時にフランコ軍に加担したナチが、バスクの小さな町に対して行った世界最初の無差別殺戮を描いたものとして知られる。サッカーのスペインリーグ「リーガ エスパニョーラ」のFC バルセロナとレアル・マドリッドの対戦、いわゆる「クラシコ」は、中央対地域の代理戦争の様相を呈する。つい最近も第7節のクラシコではカタルーニャの旗がバルセロナのホームスタジアム カンプ・ノウに翻り、場外では独立を巡って舌戦が繰り広げられた。他方、バスク自治州の伝統ある有力チーム、アスレティック・ビルバオはチームコンセプトとして、バスク人選手のみを登録している。レアル・マドリッドがまるで世界選抜のようなチームであることとは対照的である。
バスクの起源は不明であるが、一説にはクロマニヨン人の末裔ともいわれる。言語も、周囲のインド・ヨーロッパ語群とは全く関連を持たず、世界のどの言語とも系統的なつながりがない。バスクの人口は国境をまたぐフランス西部の住民を入れても300万足らず。世界有数の合唱団がこのスペイン辺境の地にその根拠をおいているのである。
2012年7月13日金曜日
「歓喜に寄す」を歌う
一年の半分が過ぎ、「第九交響曲合唱付き」の練習に入った。
昨年秋、20数年ぶりで復帰した合唱団で配布した駄文を以下に転載する。
昨年秋、20数年ぶりで復帰した合唱団で配布した駄文を以下に転載する。
2011年11月15日
「歓喜に寄す」を歌う
歓喜よ、神々の美しい火花、
至福の園の娘、神々しきものよ、
われらはその火花に酔いしれ、そなたの聖所に踏み入る。
この世の習わしがきつく分け隔てたものを、
そなたの不思議な力が再び結びつける。
そなたのやさしい翼が覆うところ、
すべての人、みな兄弟となる。
(合唱)
幾百万の人たちよ、
さあ、抱き合おう!
この口づけを全世界に!
兄弟たちよーー星空の上には
かならずやいとしい父がおられるのだ。
首尾良く一人の友を得たるものは、
優しい女性を得たるものは、
いや、この世界でたとえ一つであれ、
人の魂を自分のものといえるものは、
われらとともに歓声を上げよ!
だが、それがかなわぬものは泣き濡れて、
この人の輪から忍び去るがよい。
(合唱)
この大きな人の輪に住まうものは、
共感に身を捧げよ!
未知なるものがおわす
あの星空へとそれは導く。
あらゆる存在は歓喜を
自然の乳房から飲む、
善人も、悪人も皆
歓喜のバラのなごりを追う。
自然はわれらにくちづけと葡萄と、
死の試練を経ながらも、一人の友を与えてくれた、
快楽なら虫けらにも与えられた、
だが、喜びの天使ケルビムは神のみまえに立っている。
(合唱)
君たちはひざまずいているだろうね、幾百万の人たちよ!
世界よ、おまえは創造主の存在を感じているだろうか。
星空の上に創造主を探し求めよ!
星の上にこそ彼はおわすに違いない。
歓喜は永遠なる自然における
強力なゼンマイだ。
歓喜、歓喜こそが
巨大な宇宙時計の歯車を動かす。
歓喜が花を芽から誘い出し、
いくつもの太陽を天空から誘い出し、
天文学者の知らぬ天球を
天空で転がす。
(合唱)
天空のいくつもの太陽が
壮麗な大空の広野を楽しげに飛翔するように、
兄弟たちよ、勇士が喜び勇んで勝利に向かうように、
君たちの道を進め!
(以下略)
以上は「歓喜に寄す」と題する8節からなるシラーの詩の前半4節を試みに訳したものである。ベートーヴェンはこの部分を、一部改編と冒頭部分のレチタティーヴォを加筆して、第4楽章に用いた。
シラーのこの詩は1785年、26才の時に作られ、翌年発表されると、当時のドイツ語圏では熱狂的に迎えられた。愛と友情に酔いしれ、「全世界に口づけ」を投げかける激情は新しい世代の心をつかんだ。当時はSturm und Drang(疾風怒濤)の時代。自由、平等、博愛が叫ばれるフランス大革命の前夜の時代でもある。若きベートーヴェンも時代の空気を存分に吸い込んでいた一人であった。生涯にわたってシラーに傾倒した彼が8つの交響曲を完成させた後、12年たってから最後の交響曲にこのシラーの詩を編み込んだ。
この詩を考えるとき、一人の友人の存在に目を向けざるを得ない。貧しい軍医の家庭に生まれた若きシラーがこの詩を書いた頃、すでに作家として世に出ていたとはいえ、彼は経済的な困窮から解放されずにいた。その彼に温かい手をさしのべたのが、3才年上の友人、高級官吏でもあったケルナーである。皮相的に見れば、この詩は困難を抱えた友に友情の手を差し出してくれたことに歓喜して成立した詩、ともいえるのである。
しかしこの詩には時代の空気を吸い込み、時代の若者たちに熱狂的に迎えられるフリーメーソン的精神が横溢している。シラー自身はフリーメーソンの会員であった証拠は無いものの、ケルナーはそのロッジ(支部)に属していたと言われている。この詩の持つ普遍的な理想主義的精神は時代を超えて、強いメッセージ性を帯びて訴えてくる。それ故に、今日も折に触れ演奏されるのであろう。
シラー自身は後年、この詩について「感情が燃えているが、下手な詩で、完全に乗り越えた発展の一段階を記しているに過ぎない」とケルナーに述べている。つまり「若気の至り」というわけである。筆者自身も、20数年前に「第九」合唱に取り組んだとき、表現が大仰で、単純な感情の発露と内容の乏しさに戸惑いを覚えたことを思い出す。加えて、ヒットラーの誕生日の祝いにフルトヴェングラーの指揮でこの曲が演奏されたことを考えると、無邪気に歌う気持ちになれなかった。ウィーンフィルのコンサートマスター、キュッヒル氏が言うように、「第九」は3楽章まででよかったのではないか、あるいは、悪しく言えば第4楽章のどんちゃん騒ぎのような、良く言えば祝祭的な声楽部分を削った方がいい、などと思ったりした。しかし、ドイツ統一の高揚した気分の中で、涙を流しながらこの曲に聴き入るドイツ人たちを思い返しながら、あらためてこの曲に耳を傾けると、単純で普遍的なメッセージが心に響いてくる。それはもしかすると、日本が未曾有の大災害を経験して、あらためて人の絆の大切さ、社会的連帯の必要性を心に刻んでいるからかもしれない。
(館林第九合唱団配付資料)
2012年7月3日火曜日
ユーロ2012年 スペイン 2連覇達成!
このたびは合唱と何の関係も無い話。
私はサッカー競技の経験はないが、メキシコオリンピック(1968年)で日本代表が銅メダルを獲得して以来のサッカーファンである。日本代表が不甲斐ない時代にはサッカーから離れたが、Jリーグがスタートするとともにサッカーへ関心を戻した。スペインサッカー見たさからWOWOWと契約しているほどである。
今年のユーロ大会はウクライナとポーランドの共同開催。6月8日に開幕して昨日7月1日に決勝が行われ、全32試合すべて観た。
大会の関心は、スペインが4年前の前回大会、更には2年前のW杯に続いて主要大会3連覇達成出来るか、はたまたドイツ代表がそれを阻止するか、に向けられた。ドイツ代表の前評判は高かった。ドイツは予選、一次リーグを通じて全勝で準決勝まで駒を進めてきた。ところが、故障者続出やら八百長疑惑などで前評判が高くなかった苦手イタリアに準決勝で完敗。一方スペインはチームとしてのピーク時が過ぎ、若きドイツの勢いに敗れるのでは、との見方も強かったが、準決勝でC.ロナウド擁するポルトガルをPK戦の末何とか下し、ドイツを破ったイタリアと決勝を戦った。
軍配が上がるのは、延長戦を含め120分戦った優勝候補スペインか、ドイツを破って勢いに乗る攻撃スタイルに変貌したイタリアか。結局のところ、中2日のイタリアの足は重く、中3日のスペインはポルトガル戦とは見違えるほど動きがよかった。イタリアは前半早々に故障者が出、おまけに2点リードを許した後半、交代で入った選手が故障で退場。一人少ない10人で2点を追う展開となった。この時点で明らかに選手の動きが一層悪くなった。その後更に2点加えられ、スペインに圧倒された。
かつて、スペインはW杯などでは優勝候補に挙げられながら、いつも期待を裏切ってきた。しかし、4年前の前回大会以来のこのチームはそれまでとは異なる。素早い玉回しによるパスサッカーで試合を支配し、可能性の低いシュートやロングパスは試みない。細かく玉をつなぎ、一瞬の隙を突く。今のスペイン代表にはエースストライカーがいないこともこうした戦術をとることになっているのかもしれない。F.トーレスにはかつての輝きを感じられない。ドイツのように高さで勝負することも出来ない。おそらく日本代表と比べても今のスペインチームの平均身長は大差ないだろう。
デル・ボスケ監督がとった戦術はトップを置かない、「ゼロトップ」と見なされた。FWを置かないのである。否、一度FWのネグレドをトップにおいたが、全く機能しなかった。決勝戦ではMFのセスクがトップの位置に入った。しかしその役割は、点をとることよりもディフェンスを意識したものであった。
このサッカースタイルは、スペインサッカーと言うより、FCバルセロナの戦い方なのだ。この代表チームにはバルセロナの選手が7人参加。内決勝にはその6人が出場している。左サイドバックのJ.アルバはもともとバルセロナのカンテラ育ち、バルセロナへの移籍が決まっているので、スペイン代表はバルセロナのチームと言いたくなる。これに故障で出場できなかったビジャやスペインチームの顔とも言えるプジョルが加わっていれば、バルセロナ単独でスペイン代表チームを構成できるほどである。バルセロナの宿敵、R.マドリードの選手たち、GKのカシージャスやセルヒオ・ラモス、シャビ・アロンソ、アルベロアもバルセロナのスタイルに良くなじんでプレーしているように見えた。
このバルセロナの戦術を支えているのが、二人のMF、シャビ・エルナンデスとイニエスタである。彼らは決して汚いラフプレー、レフリーを欺くようなプレーをしない。この二人はチームに品格を与える力を持つ。相手チームの選手からも尊敬されていることは試合の中でも感じられる。
スペインはフランコ時代の悪政も手伝って、地域対立の激しい国であった。北東に位置するバスク地方は分離独立を求める武装闘争が激しいこともあった。バスク地方の伝統ある強豪A.ビルバオはバスク出身者に限ることをルールにしている。スペインでは代表チームなど応援するものは少なく、なによりも地域のチームを大事にするとはよく言われたことだ。しかし、今のスペイン代表チームを観ていると、出場機会の無かったビルバオの2人の選手、ジョレンテとハビ・マルチネスが懸命にチームをもり立てる姿が見られた。ボスケ監督の人望によることも大きいのであろうが、チームとしての強い一体感が優勝に導いたのだと思う。今スペインは経済的に大きな困難を抱えている。このたびの優勝がこの困難を乗り切る力を国民に与えることを期待したい。
私はサッカー競技の経験はないが、メキシコオリンピック(1968年)で日本代表が銅メダルを獲得して以来のサッカーファンである。日本代表が不甲斐ない時代にはサッカーから離れたが、Jリーグがスタートするとともにサッカーへ関心を戻した。スペインサッカー見たさからWOWOWと契約しているほどである。
今年のユーロ大会はウクライナとポーランドの共同開催。6月8日に開幕して昨日7月1日に決勝が行われ、全32試合すべて観た。
大会の関心は、スペインが4年前の前回大会、更には2年前のW杯に続いて主要大会3連覇達成出来るか、はたまたドイツ代表がそれを阻止するか、に向けられた。ドイツ代表の前評判は高かった。ドイツは予選、一次リーグを通じて全勝で準決勝まで駒を進めてきた。ところが、故障者続出やら八百長疑惑などで前評判が高くなかった苦手イタリアに準決勝で完敗。一方スペインはチームとしてのピーク時が過ぎ、若きドイツの勢いに敗れるのでは、との見方も強かったが、準決勝でC.ロナウド擁するポルトガルをPK戦の末何とか下し、ドイツを破ったイタリアと決勝を戦った。
軍配が上がるのは、延長戦を含め120分戦った優勝候補スペインか、ドイツを破って勢いに乗る攻撃スタイルに変貌したイタリアか。結局のところ、中2日のイタリアの足は重く、中3日のスペインはポルトガル戦とは見違えるほど動きがよかった。イタリアは前半早々に故障者が出、おまけに2点リードを許した後半、交代で入った選手が故障で退場。一人少ない10人で2点を追う展開となった。この時点で明らかに選手の動きが一層悪くなった。その後更に2点加えられ、スペインに圧倒された。
かつて、スペインはW杯などでは優勝候補に挙げられながら、いつも期待を裏切ってきた。しかし、4年前の前回大会以来のこのチームはそれまでとは異なる。素早い玉回しによるパスサッカーで試合を支配し、可能性の低いシュートやロングパスは試みない。細かく玉をつなぎ、一瞬の隙を突く。今のスペイン代表にはエースストライカーがいないこともこうした戦術をとることになっているのかもしれない。F.トーレスにはかつての輝きを感じられない。ドイツのように高さで勝負することも出来ない。おそらく日本代表と比べても今のスペインチームの平均身長は大差ないだろう。
デル・ボスケ監督がとった戦術はトップを置かない、「ゼロトップ」と見なされた。FWを置かないのである。否、一度FWのネグレドをトップにおいたが、全く機能しなかった。決勝戦ではMFのセスクがトップの位置に入った。しかしその役割は、点をとることよりもディフェンスを意識したものであった。
このサッカースタイルは、スペインサッカーと言うより、FCバルセロナの戦い方なのだ。この代表チームにはバルセロナの選手が7人参加。内決勝にはその6人が出場している。左サイドバックのJ.アルバはもともとバルセロナのカンテラ育ち、バルセロナへの移籍が決まっているので、スペイン代表はバルセロナのチームと言いたくなる。これに故障で出場できなかったビジャやスペインチームの顔とも言えるプジョルが加わっていれば、バルセロナ単独でスペイン代表チームを構成できるほどである。バルセロナの宿敵、R.マドリードの選手たち、GKのカシージャスやセルヒオ・ラモス、シャビ・アロンソ、アルベロアもバルセロナのスタイルに良くなじんでプレーしているように見えた。
このバルセロナの戦術を支えているのが、二人のMF、シャビ・エルナンデスとイニエスタである。彼らは決して汚いラフプレー、レフリーを欺くようなプレーをしない。この二人はチームに品格を与える力を持つ。相手チームの選手からも尊敬されていることは試合の中でも感じられる。
スペインはフランコ時代の悪政も手伝って、地域対立の激しい国であった。北東に位置するバスク地方は分離独立を求める武装闘争が激しいこともあった。バスク地方の伝統ある強豪A.ビルバオはバスク出身者に限ることをルールにしている。スペインでは代表チームなど応援するものは少なく、なによりも地域のチームを大事にするとはよく言われたことだ。しかし、今のスペイン代表チームを観ていると、出場機会の無かったビルバオの2人の選手、ジョレンテとハビ・マルチネスが懸命にチームをもり立てる姿が見られた。ボスケ監督の人望によることも大きいのであろうが、チームとしての強い一体感が優勝に導いたのだと思う。今スペインは経済的に大きな困難を抱えている。このたびの優勝がこの困難を乗り切る力を国民に与えることを期待したい。
2012年6月29日金曜日
イギリスのマドリガルを楽しむ
来年5月の演奏会に向けて、今、イギリスのマドリガルを練習している。
ほぼ半世紀前の学生時代に、モンテヴェルディのマドリガルを歌って以来のことだ。
マドリガルは西洋音楽にあって、バロック以前のイタリアで誕生した世俗的な多声歌曲である。ミサ曲やモテットなど宗教音楽がラテン語によるのに対して、それぞれの母語によるものであるから、世俗的であると同時により民衆のものでもある。詩的イメージも牧歌的なものが多く、’マドリガル’の名の由来も「家畜の群れ」の意味の'mandria'からと考えられたこともあるが、語源ははっきりしないらしい。女性への愛や、自然の美しさを歌ったものがおおいが、内容はそれに留まらなく、多様である。昔歌ったモンテヴェルディのマドリガル、’lasciate mi morire'「私を死なせて」や'baci'「口づけ」が今でも口をついて出てくる。
以前、イギリスのキングズ・シンガーズ'King's Singers'による「マドリガル・ヒストリー・ツアー」がTVの有料チャンネルで放映され、改めてマドリガルの魅力に触れることが出来た。YouTubeにこのキングズ・シンガーズが歌うマドリガルがアップロードされているので、容易に楽しめる。今練習しているイギリスのマドリガルはポピュラーなものばかりで、ステージ第1曲目に歌う'Now is the month of maying'(T.モーリー曲)は「マドリガル・ヒストリー・ツアー」のタイトル曲として使われている。
マドリガル盛時の16,7世紀にはイギリスにおいても盛んになり、数多くのマドリガルが作られている。イタリアのものとは異なり、あまり技巧的でなく、歌詞も素朴なものが多く、和声も美しいので、親しみやすい。マドリガルは、キングズ・シンガーズがそうであるように、本来は5,6名の小さなアンサンブルで楽しむものかもしれないが、混声合唱で歌っても何ら違和感がない。和声の楽しさを味わうためにも合唱団の愛唱曲に入れたいものだ。
ほぼ半世紀前の学生時代に、モンテヴェルディのマドリガルを歌って以来のことだ。
マドリガルは西洋音楽にあって、バロック以前のイタリアで誕生した世俗的な多声歌曲である。ミサ曲やモテットなど宗教音楽がラテン語によるのに対して、それぞれの母語によるものであるから、世俗的であると同時により民衆のものでもある。詩的イメージも牧歌的なものが多く、’マドリガル’の名の由来も「家畜の群れ」の意味の'mandria'からと考えられたこともあるが、語源ははっきりしないらしい。女性への愛や、自然の美しさを歌ったものがおおいが、内容はそれに留まらなく、多様である。昔歌ったモンテヴェルディのマドリガル、’lasciate mi morire'「私を死なせて」や'baci'「口づけ」が今でも口をついて出てくる。
以前、イギリスのキングズ・シンガーズ'King's Singers'による「マドリガル・ヒストリー・ツアー」がTVの有料チャンネルで放映され、改めてマドリガルの魅力に触れることが出来た。YouTubeにこのキングズ・シンガーズが歌うマドリガルがアップロードされているので、容易に楽しめる。今練習しているイギリスのマドリガルはポピュラーなものばかりで、ステージ第1曲目に歌う'Now is the month of maying'(T.モーリー曲)は「マドリガル・ヒストリー・ツアー」のタイトル曲として使われている。
マドリガル盛時の16,7世紀にはイギリスにおいても盛んになり、数多くのマドリガルが作られている。イタリアのものとは異なり、あまり技巧的でなく、歌詞も素朴なものが多く、和声も美しいので、親しみやすい。マドリガルは、キングズ・シンガーズがそうであるように、本来は5,6名の小さなアンサンブルで楽しむものかもしれないが、混声合唱で歌っても何ら違和感がない。和声の楽しさを味わうためにも合唱団の愛唱曲に入れたいものだ。
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