2014年3月22日土曜日

老後の火遊び


”火遊び”と言っても、比喩ではなく、文字通り火を燃やし、揺らぐ炎を見ながら、心身ともに暖まる一時を過ごすのである。
かなり前から家人が薪ストーブを付けたがっていたが、北海道出の筆者にとって薪ストーブは郷愁を誘うロマンチックな趣に魅せられると同時に、その扱いの面倒さをよく知るので、冬が過ぎるのを待ちわびつつ、その声をやり過ごしてきた。しかし、退職後の時間的ゆとりが薪ストーブの面倒さに打ち勝てそうに思えたので、家人の希望を叶えることにした。

燃焼効率を考えると、煙突は直筒屋根出しがいいのだが、既設住宅に設置するので、工事が面倒だし、雨漏りも心配なので、壁出し。
めがね石工事は大工さんに頼んだが、煙突は自分で付けたところ、孫娘が、「おじいちゃん、煙突曲げっているよ」という。屋根に上り、および腰、へっぴり腰で付けたせいか。
それでも早速火入れ。ホームセンターで買った一束8㎏¥630也のクヌギが勢いよく燃え、気持ち共々温めてくれる。

家人は庭木の剪定や古木の始末にストーブを役立てよう、それどころか燃料はそれでまかなえるのではないか、そんな甘い見通しをもっていた節があるが、薪置き場から薪を家に取り込むことが子どもの頃の日課だった筆者は、寝ても覚めても薪の調達をどうするかで、しばらくは頭がいっぱい。
真冬の寒い日だと、2~3束20㎏以上燃やすことになる。年金生活者にとって、かなり痛い出費だ。

薪ストーブのある暮らしを喧伝する雑誌などでは、薪の調達について、ずいぶん楽観的なことが書いてある。やれ、工務店から廃材をもらう、造園業者と仲良くする、森林組合から間伐材をただ同然で入手する、あるいは原木を買い、自分で玉切り、中割りする、と言った具合である。
ちょっと考えれば解ることだが、建築に伴う廃材は薪としてはあまりむかない杉や檜、合板、集成材の切れ端などである。庭木にしても、薪にむくものがどれほどあるか。間伐材も杉や檜がほとんどであろう。
原木を購入する場合も同様だが、運搬手段、玉切り、薪割り全てを自分でまかなう覚悟がいる。そのためには、軽トラック、チェーンソー、薪割り機が必要になる。加えて、力仕事を伴うので、体力も必要だ。高齢者にはこれは生やさしことではない。
持続可能なストーブ生活を送るには、やはり出来合いの薪を出来るだけ安く手に入れるほか無いのだ。

上の孫が、煙突を眺めながら、「この円い筒はどこから来ているの?」とあきれたことを言う。屋根の上に突き出た煙突ではなく、部屋のストーブから伸びる煙突をさして言うのだ。
考えてみれば、生活の中で煙突はもう馴染みのものではなくなった。それどころか、火そのものが台所にでも立たない限り、身近でなくなりつつある。
人類が火を見いだし、発火を工夫し、生活に役立て、火を生活の中心に置いた。採暖、調理、採光、いずれもが火によって営まれてきた。
今は、暖房はエアコン、炎の見えない石油ストーブ、台所仕事も電磁調理器に至っては火が全く見えない。火を必要としながら、一方で、破壊的な性格を持つ火を出来るだけ遠ざけるようにしてきたのである。

小学唱歌「たき火」は「日本の歌百選」にも選ばれ、中高年の世代なら誰もが歌ったことがある歌だろうが、秋の風物詩を彩る落ち葉焚きも、近隣や消防署からそれこそ煙たがれる。「たき火」は今では遠い昔の世界に見える。

ストーブの火を見ていると、郷愁を覚えると同時に、わずかながら野生の感覚がよみがえる。年寄りの冷や水などと家人に揶揄されながら、チェーンソーで倒木を玉切りして、薪割りのまねごとを試してみた。翌日体の節々が痛んだことは言うまでもない。


2014年2月15日土曜日

「かれら」か、それとも「われら」か?    ー 「祈りの歌」続き


 先に、ブルッフの「祈りの歌」を話題にした。原題はMedia Vita - Die Schlachtgesang der Mönche 。今回はその日本語歌詞を取り上げる。

 所属する合唱団で、歌詞の理解を巡って疑問が出てきた。先に触れたように、日本語による「祈りの歌」は、原曲のドイツ語歌詞の訳詞ではなく、安田二郎(=福永陽一郎)によって作詞されたものである。

 疑問点は、ライヒェナウの修道士が歌う歌詞の中の「かれら」が、誰を指示しているのか、を巡ってである。その前段のザンクト・ガレンの修道士の歌では「われらと」一人称で歌う。それを引き継ぐライヒェナウの修道士の歌では唐突にも「かれら」と三人称の指示語に変わっている。歌詞の連続性を考えれば「かれら」は先のザンクト・ガレンの修道士を指示していると受け止めるほかない。しかし後段ではザンクト・ガレン、ライヒェナウ両修道士たちは声をそろえて「われら」と歌うのである。
 ところが、ライヒェナウの修道士が歌う部分の「かれら」を「われら」にすればすっきりとつながるし、全体の構成ともマッチする。わずか一字の違いである。
 誤植で「わ」が「か」になったことも考えられるので、念のため、合唱仲間から送られた録音、福永陽一郎指揮による早稲田グリーと慶応ワグネルの合同演奏を何度も聞いてみたが、その部分は「かれら」と歌っている。

 ところで、先のブログでは、原曲の楽譜がないので、シェッフェルの原詩の訳文を掲げておいたが、その後ネット上のサンプル楽譜(全体の60%)をもとに、欠けている歌詞を原詩で補って,原曲の楽譜を復元してみた。多分90%以上の確立で復元できたと思う。原曲楽譜が入手できればこんな手間をかけずに済むのだが、暇に任せてやってみた。やってみて、原詩はそのままはまることが解った。先に報告した原曲楽譜のRichter(裁き手)→  Rächer(報復者)を除いてはシェッフェルの原詩通りになる。
 
 余談だが、この変更は作曲上の理由からと思われる、と先に書いたが、もしかすると、作曲者のブルッフが手にした版ではRächerとなっていて、後に小説の著者シェッフェルが改訂版を出すときに、Richter に変えたのかもしない。意味的にはRichterの方がすっきりする。ベートーヴェンの「第九」合唱でも、男声合唱の部分で、Laufet …とあるが、現在われわれが入手するシラーの詩では、Wandert…となっている。これはシラー自身が後に変えたことに依る異同である。

 本題に戻るが、作詞とはいえ、原曲の歌詞をもとにしているはずなので、原曲にあたってみると、原曲歌詞では全体が一人称「われら」で統一されている。件のライヒェナウの修道士が歌う箇所の三人称「かれら」は「われらの父祖たち」を指している。一人称「われら」で歌っているのである。(参照:前ブログの原詩訳文)

 「グリークラブアルバム1」(カワイ出版)所収のこの楽譜でも、冒頭バスパートにザンクトガレン修道士、テノールパートにライヒェナウ修道士の注意書きを添えている。この事から作詞者安田二郎(=福永)はこの曲の構成を原曲に沿って歌うよう求めていると考えられる。
 英語表記していることから、氏がもとにした楽譜は英語版と推測される。すると歌詞は英語に依ったと考えられる。原曲、テノールパートの「かれら」は「われらの父祖たち」を指していて、これは取り違えることがないはずだが、もしかするともとになった英語の訳詞に問題があったのかもしれない。

 作詞なので、原詩から離れて自由に作詞したのだ、と考えることはもちろん可能だが、では何故に楽譜に原曲に従って、それぞれ「ザンクト・ガレンの修道士」、「ライヒェナウの修道士」と、この曲の構成上重要な但し書きを書き入れたのか説明が付かない。作詞の構成も原曲に沿って作られていることは明らかだ。それなら、たとえ作詞であっても、全体の構成を左右するわずか一字の違いも見過ごすわけにはいかない。

2014年2月10日月曜日

男声合唱曲「祈りの歌」


 所属する合唱団で、ブルッフ(Max Bruch 1838-1920)の「祈りの歌」の練習に入った。「グリークラブアルバム1」(カワイ出版)所収の男声合唱曲である。

 ブルッフはドイツのケルン生まれ。ヴァイオリン協奏曲で名前が知られているが、合唱曲も多数作曲している。
「グリークラブアルバム1」では、題名がMedia Vita 「祈りの歌」とあるが、原題は Media Vita   Schlachtgesang der Mönche (戦いに臨む修道士たちの歌)となっている。
ラテン語 ”Media Vita” は人生の半ば、くらいの意味であろうが、自信はない。全く違っているかもしれない。

 さて、作詞者は安田二郎とある。この名はグリークラブアルバムの編者のひとり、著名な合唱指導者 福永陽一郎のペンネームで、「オーラ・リー」などの訳詞も手がけていて、作詞者、訳詞者としてはこのペンネームを使うようだ。

 ところで、原曲の歌詞だが、ネットにある原曲楽譜のサンプルを見ると、ヨーゼフ・ヴィクトァ・フォン・シェッフェル Joseph Victor von Scheffel(1826-1886)の名があげられている。シェッフェルは以前は結構読まれた作家だが、今は二三の作品を除いてはあまり読まれないと思われる。1855年に発表された小説『エッケハルト』Ekkehard10世紀スイスのザンクトガレンの修道士の名)に出てくる詩をもとにブルッフは作曲したのだろう。

 ネットで探したところ、原詩が見つかったので、参考までにその試訳を掲げる。
 
 (フン族との戦いに、隊列を組んで歩を進める男たちの鈍い声が響く:) 
   ああ、わが人生も半ばを過ぎたにすぎない!
   死に神の使いがわれわれに絶えずつきまとう。
   後ろ盾として頼みにできるのは、あなたをおいて誰がおろうか。
   おお主よ!犯した罪の裁き手よ!
   聖なる神よ!
 
 (するとライヒェナウの修道士たちが別の側からそれに応えて歌う:) 
   わが父祖たちはかねてよりあなたを待ち焦がれてきた、
   あなたはかれらの涙をぬぐってくれた。
   あなたのもとに彼らの叫びと呼び声が届いた、
   あなたは父祖たちを玉座から振り捨てることをしなかった。
   強大な神よ!
 
 (左右の声が一緒に鳴り響く:)
   無力感がわれわれを襲うとき、見捨てないでください!
   勇気が萎えるとき、われわれ皆の支え杖となってください;
   死に神の餌食にわれわれを委ねることの無いように、
   慈悲深い神よ、われわれの盾であり、頼りである神よ!
   聖なる神、強大な神よ!
   聖なる慈悲深い神よ、われらをあわれみ給え!
   
 原曲の楽譜が手元にないので、歌詞が同じ詩文であるかどうか確かではない。作曲上の理由からだろうか、少なくとも一部改変がみられる。「犯した罪の裁き手よ(Richter)!」が「報復者(Rächer)」に変えられている。

 作詞者安田二郎(福永陽一郎)の歌詞は内容的には原詩と同じではないが、当たらずとも遠からずと言ったところだろうか。

 「グリークラブアルバム1」(カワイ出版)所収の楽譜には英語表記があるので、英米で出版された楽譜をもとにしたのかもしれない。
バス部の冒頭に「ザンクトガレンの修道士たち」、テノール部のはじめに「ライヒェナウの修道士たち」の但し書きがある。これは上に掲げた詩文に対応している。
なお、この楽譜では、Reichenan とあるが、Reichenau の間違い。

 この詩の舞台である十世紀にはすでに、ザンクトガレン修道院とライヒェナウ修道院があった。スイスとドイツにまたがるボーデン湖近くにあるこの二つの修道院は、今日ともに世界文化遺産となっている。

 合唱団の仲間が慶應義塾大ワグネルと早稲田大グリーの合同演奏の録音を探してくださった。ネット上にはアメリカの公演記録(複数)もあるので、この曲は過去には良く歌われたものと思われるが、YouTube では見つからなかった。

 今は男声合唱団ならでは、といった曲は好まれないのかもしれない。

                               

2013年12月7日土曜日

特定秘密保護法成立


予想通り、「特定秘密保護法」が成立した。

与党自民党の中のリベラル派に一縷の期待を持っていたが、安倍政権の暴走に対する抑止力として働くには、その勢力はあまりに弱すぎたと言うことか。
と言うより、明らかに自民党が大きく変質したと言うべきだろう。
それは、国民全体がいわゆる右傾化していることと無縁ではあるまい。ここで言う右傾化とは、簡単に言えば、一人一人の人権よりも“国家”を優先させる指向ベクトルである。
その結果、国会において、もはや、従来の“保守”,“革新”では割り切れない、“国家主義的”政治勢力が与野党を問わず力を増している。しかも戦争の記憶が薄い年齢層ほどこの傾向が強いことに、筆者は大きな不安を覚えるのである。

この法案を支持する人たちは、北朝鮮や覇権傾向を強める中国の存在を意識してのことだろう。北朝鮮の暴発は怖い、尖閣諸島の領有権を巡って,中国との間に不測の事態も起きかねない、そう国民の多くが不安を抱いているのも確かである。
この空気を安倍政権は千載一遇の機会と捉え、強引に成立を図った。

安倍政権が進める国家主義的諸政策はこの法案に留まらない。道徳教育の教科化やNHK人事に見られるメディア支配の強化、普天間基地の移設問題、エネルギー基本計画策定にもこの政治姿勢が垣間見られる。
国家安全保障会議(日本版NSC)の新設、特定秘密保護法、さらには集団的自衛権の確立、と見てくれば、この政権は「戦争を出来る体制作り」を目指しているとしか思えない。これは現行憲法の平和主義を否定する国作りだ。
いわゆる「決められる政治」とは、国民の意向を忖度せず、国家権力を剥き出しにすることのように見える。エネルギー政策、労働政策一つ見ても、この政権が国民の利益よりも何を優先しているかは明白であろう。筆者には現今の中国と次第に相似形をなしていくように見えるのである。

このような安倍政権を誕生させたのは、国政選挙の結果である。
一票の格差問題ばかりに焦点が合わされるが、民意を反映しにくい現行の小選挙区制ではなく、以前の中選挙区制なら、今回の事態は招かなかったであろう。さらに、ドイツなどの比例代表制に重きを置いた選挙制度なら、このような法案が上程されることもなかったであろう。明らかに選挙制度の欠陥がもたらしたものとして、今回の事態を記憶されるべきだ。

しかし、次回以降の国政選挙次第では、この法律を廃止乃至は大幅な改正も可能である点に希望をつなぐことが出来る。
国民の多くがその時まで、この政権が推し進める危険な政策をよくよく理解し、想いを持続していられるかどうかにかかっているが。


2013年11月22日金曜日

「特定秘密保護法案」に反対!


先日、所属する合唱団の練習時に、指導者の先生が今国会に上程されている重要法案「特定秘密保護法案」に反対するよう団員に呼びかけた。

この異例ともいえる行動を、団員たちはどのように受け止めたのか、今ひとつ筆者には図りかねるが、選曲にあたって普段メッセージ性のある曲を選ばれるので、筆者はこの行動を違和感無く受け止めた。それどころか、アカデミーの世界からこのような声が澎湃と上がることが期待されている時だけに、勇気ある発言と評価したい。

一般的に諸芸術の中でも音楽は政治から遠い世界にあると考えられがちである。それだけに今回の指導者の先生の言動に違和感をもった人もいるかもしれない。

言葉を持つ人間はたとえ思想性のない楽音にも、そこに想いやメッセージを読み取ることはごく自然な人間としての営みだ。ましてや社会に生きる一人の人間として、音楽と直接には関係のない事柄について発信したとしても、それもまた当然の行動として容認されるべきである。

さて、当の「特定秘密保護法案」だが、メディアなどでは「国民の知る権利が侵される」として国民の権利侵害をこの法案の弊害として上げる声が強いが、筆者が最も危惧するのは、そのことに関連して、権力に対する監視が弱まることである。

「権力は腐敗する 、専制的権力は徹底的に腐敗する」この格言は19世紀イギリスのアクトン卿の言葉だが、この格言は今の中国をみればよく解る。この専制体制のもとではメディアは共産党宣伝部のコントロール下にあり、権力にとって都合が悪いことは全て伏せられる。今の習政権がいくら腐敗撲滅を目指すと言っても、報道・言論の自由のない体制のもとでは、それがスローガンだけのものに終わることは火を見るより明らかだ。

いかなる権力も、権力執行は衆目の無いところでやりたがるものだ。それは政府のみならず自治体であろうと、会社組織であろうと同様である。

今法案は外交・防衛に関する特定分野だと安倍政権は抗弁するだろう。想定する処罰対象は公務員に限るともいう。しかしこの”特定”分野に限ったとしても、これに関わる民間人は多いだろう。また、権力の暴走を止めたいと考える良心的な公務員に足かせをはめ、萎縮させることになる。「見ざる、言わざる、聞かざる」の臆病な公務員を養うことにつながる。

さらに、いったん出来た法律は一人歩きして、将来、それこそ想定外の広範囲の適用の仕方に道を開く可能性があることは、この法律の持つ大きな危険性だろう。

それにしても、第三者のチェック機関として「首相」を想定するとは、失笑以外の何ものでもない。

2013年11月12日火曜日

「埴生の宿」の精妙なる旋律


日本において世代間の違いの大きなものの一つに、学校で学ぶ音楽教材の違いが挙げられるであろう。以前ドイツ語学習の一助にと、「菩提樹」や「野ばら」などを教材にしたところ、メロディーを知らないものが結構いたことに驚いたことがある。掲題の「埴生の宿」は今の音楽教科書に載っているのだろうか。ネットで教科書掲載曲をざっと調べたところ、どうも見当たらないようだ。

原題”Home, Sweet Home" (「楽しきわが家」)はイギリスのヘンリー・ローリー・ビショップ(Henry Rowley Bishop, 1786-1855)による作曲、アメリカのジョン・ハワード・ペイン(John Howard Payne, 1791-1852)による作詞の曲。俳優でもあり、また劇作家でもあったペインが自作のオペラ『クラリ、ミラノの乙女』の中に組込んだ。以来、この曲は独立した曲として引用、編曲され演奏されてきた。

日本では早くも1889年(明治22年)に里見義訳詞「埴生の宿」として『中等唱歌集』に収められ、2006年には「日本の歌百選」の一つに選ばれている。おそらく50歳代以上の方なら学校でこの歌を歌った経験をお持ちであろう。
日本でもこの曲は映画でも使われ、古くは『二十四の瞳』、『ビルマの竪琴』、1988年公開の映画『火垂るの墓』(スタジオジブリ制作)の挿入歌として、聞くものの涙を誘ってきた。

筆者はこの曲にほろ苦い思い出がある。
ドニゼッティの歌劇『アンナ・ボレーナ』をビデオで見ていたとき、最後の二十分間のアリア・フィナーレで、タイトルロールのアンナ・ネトレプコが歌うアリアの中に「埴生の宿」、否、Home, Sweet Home の旋律が流れてくるではないか。浅はかにもこの時、ビショップさんはドニゼッティさんの曲をパクったと思い込んでしまった。たまたまその頃所属の合唱団で「埴生の宿」を練習していた。よせばいいのに、解った振りをして「この曲はビショップがドニゼッティのオペラの中のアリアをパクった」などと練習時に言ってしまった。
その後気になったので、あらためて調べたところ、オペラ『クラリ、ミラノの乙女』は1823年初演。一方『アンナ・ボレーナ』は1830年の初演。ということで、ドニゼッティが当時すでに親しまれていたビショップさんのこのメロディーを拝借したということになる。馴染みの旋律をオペラの中に流用することはよくあることと知っていたつもりなのに、その時は早合点。

歌劇『アンナ・ボレーナ』、舞台は十六世紀イングランド。アンナ・ボレーナは英語ではアン・ブーリンまたはアン・ボーレン。夫のエンリーコは英語ではヘンリー8世。ミラノでの初演の後、翌年1831年のロンドン公演では名前は英語読みにしたのだろうか。
それはともかく、二番目の妻として略奪結婚したエンリーコはすでに妻アンナには冷淡。アンナの女官ジョヴァンナに横恋慕していて、アンナは邪魔者でしかない。初恋の相手ペルシー卿と不義密通を図ったとの濡れ衣をアンナに着せて処刑の処断。何とも身勝手な暴君である。

ついでながら、アンナとエンリーコの間に生まれたのが、近世初期のイギリスで、政治的にも文化的にも時代を画する治世を行ったエリザベス1世である。メトロポリタン・オペラであったか、ウィーン国立歌劇場での公演であったか忘れたが、刑場につながれたアンナが女の子を抱いて出てくる場面があった。その子が後の偉大な女王になるエリザベス1世という演出であろう。

件のHome, Sweet Home の精妙な変奏旋律が流れるのは、囚われの身となったアンナが精神錯乱の中、アリア「なつかしい故郷の城に」を歌う場面である。
ドニゼッティは『ランメルムーアのルチア』でも”狂乱の場”で有名なアリアを歌わせている。アリアと”狂乱の場”はオペラでは相性の良い場面なのだろう。

筆者は「埴生の宿」を歌う本番のステージで、迂闊にもこの場面を思い浮かべてしまい、声が詰まり、その後歌えなくなったことがある。涙どころか、錯乱していては到底ドニゼッティのこの難曲を歌えないのは言うまでもない。

翻って、Home, Sweet Home にしろ、「埴生の宿」にしろ、これが歌うにふさわしい場面は故郷を離れたところにある。初等、中等学校の子どもたちには、理解が少し困難なのかもしれない。ただ、不幸にも震災と原発事故で家を失った子どもたちには切ない歌と映るのだろうか。

2013年11月4日月曜日

ウイグルについて再び話そう


筆者のウイグルへの関心は、ウイグルからやって来た留学生にボランティアで日本語を教えたことがきっかけだ。それ以前のウイグルに関する知識は乏しく、せいぜい言語がチュルク語系であること、中国政府が抑圧的な政策をとっていること、一年間滞在した知人の話から親日的で美人が多いこと、と言った程度であった。

留学生が語るウイグルの厳しい現実は生々しく、TVや購読している新聞で報道されることとは大違いであった。NHKの『シルクロード』はことのほか留学生には評判が悪かった。ウイグルの現実から目を背け、ロマンあふれる西域に脚色されている、と言うわけである。おそらく当時はTVにしろ,新聞にしろ取材には大きな制約があったのだろう。
北京オリンピック開催の年あたりから日本における中国報道も変わってきたように思う。中国政府にとって不都合なことも徐々に紙面やTV画面に出でるように変わってきた。それにより、留学生が話すウイグルの現実が決して誇張ではないことが裏付けられた。

当初留学生たちは人前でウイグルのことを語ることに慎重であった。臆病と言うべきかもしれない。筆者と二人きりなって初めて重い口をひらくものが多かった。密告を恐れているのである。筆者も留学生たちに害が及ばないよう、言動には気をつけてきた。
ベルリーンの壁崩壊前の東ドイツがそうで、市民たちは人前では決して政治を口にしなかったものだ。
東ドイツではシュタージ(Stasi:Ministerium für Staatssicheit国家保安省)と呼ばれる秘密警察・諜報機関があって、市民を監視していた。正規の職員の他に、市民の中に「協力者」がいて、密告が奨励されていた。専制体制ではどこでもよく見られる光景である。
共産党が国家を主導する中国にも「共産党安全部」という組織があって、東ドイツのシュタージや旧ソ連のKGBとおなじ活動をしているのだろう。

あるウイグル人は日本人の友達と連れだってウイグルに帰省したとき、安全部の職員5,6名に連行され、10時間近く取り調べを受けたという。連れの日本人も4時間ほど拘束され,事情聴取を受けた。筆者から見てそのウイグル人はどう見ても金を稼ぐことに熱心で、日頃の言動から見ても全く非政治的な人物であった。本人は初めての経験だったらしく、「ほんとに怖かった」と述懐していた。

筆者は一度だけウイグルを旅行したが、その時案内してくれたウイグル人の知人は、筆者に「先生、ウイグルでは政治的なことは一切言わないでね。ガイドたちは安全部に全て報告するように求められているから」と念を押された。実際案内してくれたその知人も旅行中安全部から呼び出され、3時間ほど聴取を受けた。この知人も中国政府に反発するよりも、反抗的行動を取る同族のウイグル人や「世界ウイグル会議」の指導者ラビヤ・カーディル女史を「とばっちりを受ける」と言って、表向きかもしれないが、非難する人物であった。

ウイグルの治安維持には、この「安全部」の他、日本の警察にあたる「公安」、戦車など重火器を備える武装警察、さらには「生産建設兵団」と呼ばれる組織もあって、中国政府が大いに宣伝吹聴する“テロリスト集団”「東トルキスタン・イスラム運動」のつけいる隙間など無い。
散発的に起こる「テロ集団の組織的・計画的」なる襲撃事件を見ても、手にする武器はナイフなどの刃物程度。とても爆弾や重火器を調達できる環境にない。今回の天安門車両炎上事件がそうであるように、計画性もなく、組織的にも弱く、絶望を動機とする、自暴自棄的な「犯行」が実態である。

日常的にウイグル人を不安が覆う。身に覚えのない拘束。いつ拘束されるかわからない,拘束されれば拷問が待ち受けるかもしれない、家族とも連絡が付かないまま消されるかもしれない、そういう不安の中で暮らしている。2009年のウルムチ事件の時、デモ隊と公安、武装警察が衝突したとき、たまたま通勤の途上そこに居合わせただけで拘束されたものもいた。拘束されたものの中にはそのまま行方が分からないものが多数いる。
ウルムチ事件後しばらくは3人以上集まると拘束される恐れがある、と警戒された。1997年のグルジャ事件の際もウイグル人の集会が取り締まりの対象になったことがあったので、これが初めてではない。おそらく今回の事件以降、ウイグル人が集まることに中国公安当局は異常な警戒心を示すことで、威圧するのであろう。

あるウイグル人は北京に滞在したとき、部屋を取ろうとしたが、どのホテルでも断られた経験を持つ。明らかにウイグル人だと解っての拒絶だったという。
北京ではいつ頃のことか、「ウイグル人は盗みを働く」というデマが広がった。今回の車炎上事件に際しても、「ウイグル人は教育が無く、素行が悪く、言葉も出来ない」などという差別的な市民の声があった。留学生に聞いても、ウイグルでは窃盗事件が多発しているようには見えない。むしろ、ムスリムとして信仰心が篤いので、神を裏切る行動にはブレーキがかかるといってよい。
「ウイグル人は盗みを働く」というデマにはある背景があった。漢族によって誘拐されたり、騙されて北京に連れてこられたウイグル人の子どもたちが盗みを強要され、成長してからも生きる術なく盗みを働いたものが多数いたという。これはある漢族の研究者による調査報告によるものである。
「人さらい」は過去の話のように思う人が多いだろうが、2,3年ほど前にも中国で子どもが多数さらわれ、煉瓦作りの奴隷労働を強いられていたことがニュースになった。

ウイグル人に対する差別は日常的である。ウイグル自治区に進出した漢族企業は人員を採用するにあたって、漢族を雇用する。言語を理由に挙げるが、今日のウイグルの大学ではすべて中国語で教育が行われるので、大学卒なら中国語が出来るのでそれは理由にならない。運良く職を得られても、周りは漢族ばかり。あるウイグルの女性はあるとき、漢族上司から「特別なサービス」を求められ、それがいやでその職を離れたと言う。

近年ウルムチの新疆大学でウイグル人多数採用の話があり、色めき立ったが、募集は「公安(警察)」であった、という笑えない話がある。ウイグル族の取り締まりにウイグル人を当てるというわけである。
一時期に較べ、近年は大卒者の就職も若干好転していると聞くが、今後どうなるか。ウイグル人の起業が差別的な制約から少なく、また規模も小さいので、ウイグル族の不満は雇用問題に起因する面も大きい。休日でもないのに、日中何するわけでもなく街にたむろする大勢のウイグル族の若者たちが今も目に焼き付いている。

ウルムチは今はすっかり漢族の街になったと言っても過言ではない。ウイグル文化が濃厚であったカシュガルで、中心街の古い建物が次々に取り壊され、観光目的としか言いようのない建物が漢族資本によって建てられ、ウイグル人の憤懣を買っている。緑豊かなウイグル自治区北西地域ばかりでなく、パキスタンなどとの国境に近い南西地区にも漢族は進出しているのである。

旅行中、黒いベールで顔から体全体覆った女性が、カシュガルの街をバイクで疾駆する姿が目撃された。今はどうか。
イスラム教に限らず宗教を否定する共産党政権は、モスクに中国国旗を掲揚することを強制し、(アッラーよりまず中国共産党政権に敬意を示せ、という訳か)18才以下のモスク入りを禁じ、宗教指導者は共産党政権の息のかかった人物にすることを求め、ウイグル人たちの反感を買うことに精を出している。

習近平政権は、ウイグルに対して懐柔政策をとるのではないかとの淡い期待に反して、ウイグルに対する敵視政策を一段と推し進めているように見える。それだけ政権に余裕がないのだろう。
政権基盤が弱いだけでなく、中国経済が一頃の勢いが無くなり、300兆円にも上ると言われるシャドーバンクの負債爆弾が今後中国経済を奈落に落としかねない不安があるからでもある。
今国内を引き締めるのに異常と思えるほど毛沢東を引き合いに出していることからも、自信のなさが伺える。
この姿勢は日本にとっても人ごとではない。習政権は対外的にも今後一層強い姿勢を取らざる得ないからである。

中国政府がウイグル問題を根本的に解決し、安定的に自治区を統治するには、200万人漢族からなる「生産建設兵団」をはじめ、域内に住む漢族を内地に引き上げ、自治区のものは自治区に返し、自治区おける核兵器実験を完全に停止し、実験による被害者を救済し、ウイグル侵略を止めることだ。

もしこれが現実的な解決策でないとすれば、せめて、ウイグル敵視政策を即時廃止し、これ以上の漢族移民を停止し、企業や公的機関において少数民族の雇用を一定以上義務づけること、中国の憲法に謳っているとおり、教育において少数民族の言語と文化を守ること、宗教活動に政府が介入することを禁じること、これらのことは今日普遍的な政治原理になっていることばかりである。

これすら出来ないような国家は、われわれから見て全く異質な国と言わざるを得ない。