2013年6月5日水曜日

歌詞の持つ意味

 言うまでもないことだが、おなじ音楽でも器楽曲と声楽曲との本質的な違いは、後者では旋律に言葉がまといついていることである。しかも、言葉が持つ子音や母音の響きが個々の音に彩りを与え、言葉の意味が旋律に色合いを添える。
 優れた作曲者や、作詞者はこれらのことを意識的に、また時に無意識的にこなしているのだろう。他方、声楽の演奏者は歌唱の中で言葉の響きを音に調和させ、意味を表現することに苦心する。

 西洋音楽は教会音楽とともに発展してきたが、世俗的な音楽を含め、当初は詩文に音楽が寄り添うものであった。やがて、音楽は言葉から離れ、独立して、新たな形式を求め、音楽の文法に則って作られるようになる。言葉は背景に追いやられ、意味は作曲者の想念の中に身を潜める。器楽曲の隆盛の時代を迎える。
 しかし人は歌うことを止めなかった。ヒトには言葉により物事を表象し、表現する基本的欲求があるからである。言葉による点では声楽は文学に重なる。違いは前者が楽音と結びつく点である。

 われわれアマチュアの合唱愛好者は歌う中で様々な言葉にであう。事前作業として、当然言葉の意味、歌詞が作られた背景、作曲者がその詩文と出会った経緯、外国語の歌なら、発音と語の意味、歌詞全体の意味を調べ、詩と音楽の幸福な出会いを確認する。訳詞の場合には、時々原詩とは全く曲想が違って見えるようなこともあって、興味深い。こうした下調べも歌う楽しみに入る。

 言葉と音楽が常に蜜月関係にあるとは限らない。旋律や和声、リズムが優先され、言葉が貶められているように見える曲もあれば、逆に、旋律に言葉を無理に押し込んだとしか思えない曲もまれにある。
 
 願わくは、音楽が言葉を引き込んでいるような曲、または言葉が音楽を紡ぎ出しているような曲を歌いたいものだ。