2012年7月13日金曜日

「歓喜に寄す」を歌う

一年の半分が過ぎ、「第九交響曲合唱付き」の練習に入った。
昨年秋、20数年ぶりで復帰した合唱団で配布した駄文を以下に転載する。


                                      2011年11月15日            
              「歓喜に寄す」を歌う
                           
 
歓喜よ、神々の美しい火花、
 至福の園の娘、神々しきものよ、
われらはその火花に酔いしれ、そなたの聖所に踏み入る。

この世の習わしがきつく分け隔てたものを、
そなたの不思議な力が再び結びつける。
そなたのやさしい翼が覆うところ、
すべての人、みな兄弟となる。
    (合唱)
 幾百万の人たちよ、
 さあ、抱き合おう!
 この口づけを全世界に!
 兄弟たちよーー星空の上には
 かならずやいとしい父がおられるのだ。

首尾良く一人の友を得たるものは、
優しい女性を得たるものは、
いや、この世界でたとえ一つであれ、
人の魂を自分のものといえるものは、
われらとともに歓声を上げよ!
だが、それがかなわぬものは泣き濡れて、
この人の輪から忍び去るがよい。
    (合唱)
 この大きな人の輪に住まうものは、
 共感に身を捧げよ!
 未知なるものがおわす
 あの星空へとそれは導く。

あらゆる存在は歓喜を
自然の乳房から飲む、
善人も、悪人も皆
歓喜のバラのなごりを追う。
自然はわれらにくちづけと葡萄と、
死の試練を経ながらも、一人の友を与えてくれた、
快楽なら虫けらにも与えられた、
だが、喜びの天使ケルビムは神のみまえに立っている。
    (合唱)
 君たちはひざまずいているだろうね、幾百万の人たちよ!
 世界よ、おまえは創造主の存在を感じているだろうか。
 星空の上に創造主を探し求めよ!
 星の上にこそ彼はおわすに違いない。

歓喜は永遠なる自然における
強力なゼンマイだ。
歓喜、歓喜こそが
巨大な宇宙時計の歯車を動かす。
歓喜が花を芽から誘い出し、
いくつもの太陽を天空から誘い出し、
天文学者の知らぬ天球を
天空で転がす。
    (合唱)
 天空のいくつもの太陽が
 壮麗な大空の広野を楽しげに飛翔するように、
 兄弟たちよ、勇士が喜び勇んで勝利に向かうように、
 君たちの道を進め!

(以下略)

 以上は「歓喜に寄す」と題する8節からなるシラーの詩の前半4節を試みに訳したものである。ベートーヴェンはこの部分を、一部改編と冒頭部分のレチタティーヴォを加筆して、第4楽章に用いた。
 シラーのこの詩は1785年、26才の時に作られ、翌年発表されると、当時のドイツ語圏では熱狂的に迎えられた。愛と友情に酔いしれ、「全世界に口づけ」を投げかける激情は新しい世代の心をつかんだ。当時はSturm und Drang(疾風怒濤)の時代。自由、平等、博愛が叫ばれるフランス大革命の前夜の時代でもある。若きベートーヴェンも時代の空気を存分に吸い込んでいた一人であった。生涯にわたってシラーに傾倒した彼が8つの交響曲を完成させた後、12年たってから最後の交響曲にこのシラーの詩を編み込んだ。
 この詩を考えるとき、一人の友人の存在に目を向けざるを得ない。貧しい軍医の家庭に生まれた若きシラーがこの詩を書いた頃、すでに作家として世に出ていたとはいえ、彼は経済的な困窮から解放されずにいた。その彼に温かい手をさしのべたのが、3才年上の友人、高級官吏でもあったケルナーである。皮相的に見れば、この詩は困難を抱えた友に友情の手を差し出してくれたことに歓喜して成立した詩、ともいえるのである。
 しかしこの詩には時代の空気を吸い込み、時代の若者たちに熱狂的に迎えられるフリーメーソン的精神が横溢している。シラー自身はフリーメーソンの会員であった証拠は無いものの、ケルナーはそのロッジ(支部)に属していたと言われている。この詩の持つ普遍的な理想主義的精神は時代を超えて、強いメッセージ性を帯びて訴えてくる。それ故に、今日も折に触れ演奏されるのであろう。
 シラー自身は後年、この詩について「感情が燃えているが、下手な詩で、完全に乗り越えた発展の一段階を記しているに過ぎない」とケルナーに述べている。つまり「若気の至り」というわけである。筆者自身も、20数年前に「第九」合唱に取り組んだとき、表現が大仰で、単純な感情の発露と内容の乏しさに戸惑いを覚えたことを思い出す。加えて、ヒットラーの誕生日の祝いにフルトヴェングラーの指揮でこの曲が演奏されたことを考えると、無邪気に歌う気持ちになれなかった。ウィーンフィルのコンサートマスター、キュッヒル氏が言うように、「第九」は3楽章まででよかったのではないか、あるいは、悪しく言えば第4楽章のどんちゃん騒ぎのような、良く言えば祝祭的な声楽部分を削った方がいい、などと思ったりした。しかし、ドイツ統一の高揚した気分の中で、涙を流しながらこの曲に聴き入るドイツ人たちを思い返しながら、あらためてこの曲に耳を傾けると、単純で普遍的なメッセージが心に響いてくる。それはもしかすると、日本が未曾有の大災害を経験して、あらためて人の絆の大切さ、社会的連帯の必要性を心に刻んでいるからかもしれない。

(館林第九合唱団配付資料)



2012年7月3日火曜日

ユーロ2012年 スペイン 2連覇達成!

このたびは合唱と何の関係も無い話。

私はサッカー競技の経験はないが、メキシコオリンピック(1968年)で日本代表が銅メダルを獲得して以来のサッカーファンである。日本代表が不甲斐ない時代にはサッカーから離れたが、Jリーグがスタートするとともにサッカーへ関心を戻した。スペインサッカー見たさからWOWOWと契約しているほどである。
今年のユーロ大会はウクライナとポーランドの共同開催。6月8日に開幕して昨日7月1日に決勝が行われ、全32試合すべて観た。
大会の関心は、スペインが4年前の前回大会、更には2年前のW杯に続いて主要大会3連覇達成出来るか、はたまたドイツ代表がそれを阻止するか、に向けられた。ドイツ代表の前評判は高かった。ドイツは予選、一次リーグを通じて全勝で準決勝まで駒を進めてきた。ところが、故障者続出やら八百長疑惑などで前評判が高くなかった苦手イタリアに準決勝で完敗。一方スペインはチームとしてのピーク時が過ぎ、若きドイツの勢いに敗れるのでは、との見方も強かったが、準決勝でC.ロナウド擁するポルトガルをPK戦の末何とか下し、ドイツを破ったイタリアと決勝を戦った。
軍配が上がるのは、延長戦を含め120分戦った優勝候補スペインか、ドイツを破って勢いに乗る攻撃スタイルに変貌したイタリアか。結局のところ、中2日のイタリアの足は重く、中3日のスペインはポルトガル戦とは見違えるほど動きがよかった。イタリアは前半早々に故障者が出、おまけに2点リードを許した後半、交代で入った選手が故障で退場。一人少ない10人で2点を追う展開となった。この時点で明らかに選手の動きが一層悪くなった。その後更に2点加えられ、スペインに圧倒された。
かつて、スペインはW杯などでは優勝候補に挙げられながら、いつも期待を裏切ってきた。しかし、4年前の前回大会以来のこのチームはそれまでとは異なる。素早い玉回しによるパスサッカーで試合を支配し、可能性の低いシュートやロングパスは試みない。細かく玉をつなぎ、一瞬の隙を突く。今のスペイン代表にはエースストライカーがいないこともこうした戦術をとることになっているのかもしれない。F.トーレスにはかつての輝きを感じられない。ドイツのように高さで勝負することも出来ない。おそらく日本代表と比べても今のスペインチームの平均身長は大差ないだろう。
デル・ボスケ監督がとった戦術はトップを置かない、「ゼロトップ」と見なされた。FWを置かないのである。否、一度FWのネグレドをトップにおいたが、全く機能しなかった。決勝戦ではMFのセスクがトップの位置に入った。しかしその役割は、点をとることよりもディフェンスを意識したものであった。
このサッカースタイルは、スペインサッカーと言うより、FCバルセロナの戦い方なのだ。この代表チームにはバルセロナの選手が7人参加。内決勝にはその6人が出場している。左サイドバックのJ.アルバはもともとバルセロナのカンテラ育ち、バルセロナへの移籍が決まっているので、スペイン代表はバルセロナのチームと言いたくなる。これに故障で出場できなかったビジャやスペインチームの顔とも言えるプジョルが加わっていれば、バルセロナ単独でスペイン代表チームを構成できるほどである。バルセロナの宿敵、R.マドリードの選手たち、GKのカシージャスやセルヒオ・ラモス、シャビ・アロンソ、アルベロアもバルセロナのスタイルに良くなじんでプレーしているように見えた。
このバルセロナの戦術を支えているのが、二人のMF、シャビ・エルナンデスとイニエスタである。彼らは決して汚いラフプレー、レフリーを欺くようなプレーをしない。この二人はチームに品格を与える力を持つ。相手チームの選手からも尊敬されていることは試合の中でも感じられる。
スペインはフランコ時代の悪政も手伝って、地域対立の激しい国であった。北東に位置するバスク地方は分離独立を求める武装闘争が激しいこともあった。バスク地方の伝統ある強豪A.ビルバオはバスク出身者に限ることをルールにしている。スペインでは代表チームなど応援するものは少なく、なによりも地域のチームを大事にするとはよく言われたことだ。しかし、今のスペイン代表チームを観ていると、出場機会の無かったビルバオの2人の選手、ジョレンテとハビ・マルチネスが懸命にチームをもり立てる姿が見られた。ボスケ監督の人望によることも大きいのであろうが、チームとしての強い一体感が優勝に導いたのだと思う。今スペインは経済的に大きな困難を抱えている。このたびの優勝がこの困難を乗り切る力を国民に与えることを期待したい。