2014年11月18日火曜日

薪割り または 鍛冶屋の合唱


薪ストーブのぬくもりがほしい季節になってきた。
昨シーズンと言っても煙突設置工事が遅れ、シーズンの終わり近く、今年の3月上旬になって、やっと待望の火入れとなった次第は先のブログで書いたとおり。(「老後の火遊び」2014年3月22日)

この間、2年分の薪ストックのため、薪置き場を作ったり、いただいた玉切りした丸太を割ったり、来シーズン用の薪を購入したりと、リモコンで暖をとれる生活から一変した。
このブログを書き始めるまえにも、2,3日分の薪を小割りする一仕事を終えたところ。寒さが増すにつれ、ちょっとした時間を割いて、薪や焚きつけの用意をする日々となってきた。

薪ストーブ生活には思わぬ副産物がある。薪を割ったり、運んだりすることで自然と腕の筋力も増し、腹筋をはじめ、下半身も鍛えられる。合唱生活を送られる方ならご承知の通り、発声にとって、下半身の支えがいかに大切かは言うに及ばない。こころなしか、以前より安定して発声が出来るようになった。

合唱仲間であり、かつ”薪友”でもあるK氏は外国製の高価な薪割り機を持つが、70も超えると、ものを増やすことを躊躇するので、面倒でも斧と楔で薪を割る。楔とハンマーによる薪割りは、比較的安全で、予想以上の威力であった。なにぶん金をかけずに済む。スポーツジムに通うのが苦手な筆者には手頃な運動にもなる。

ハンマーで楔をたたきながら、今練習中の「鍛冶屋の合唱」(Anvil Chorus)を口ずさむ。イタリア語ではCoro di zingari、”ジプシーの合唱”。
このオペラのことを知らなくとも、この合唱曲は聞き覚えのある方も多いだろう。
この曲はヴェルディの歌劇『イル・トロヴァトーレ』の第2幕第1場で歌われるが、スペインのロマ(ジプシー)たちが、「仕事だ!仕事だ!ハンマーをよこせ」に続けて、威勢良くハンマーを振り下ろしながら「誰がジプシーの暮らしに喜びをくれる?それはジプシー女さ!」と歌う。

この場面、母性愛と復讐心の相反する情念に突き動かされるジプシー女アズチェーナが合唱を引き取り、カンツォーネ「炎が激しく音を立てる!」を歌う。その中で、自分の母親が冤罪で火刑に処せられ、その復讐をはたすために、侯爵の息子をその残り火に投げ込もうともくろむが、誤って自分自身の赤子を投げ込んでしまった、と“息子”マンリーコに打ち明ける。この恐ろしい復讐はオペラの大団円で果たされることになる。

さて、本番の演奏では金床とハンマーを使うのだろうか。客には大いにうけると思うのだが。
                                                                                  2014/11/18







2014年11月10日月曜日

アーメン;ハレルヤ;アヴェ


練習の折、某氏から「アーメン」はユダヤ教でも言うのでしょうか、問われた。ユダヤ教どころか、キリスト教についても知識は薄く、もとより答える立場ではないのは先刻承知の上で、先方もそれほど期待を持って問おうとしているわけでもなさそうなので、さあどうでしょう、言わないのじゃないですか、と軽い気持ちで答えてしまった。練習後帰りの車の中で、この問いを反芻していると、アーメンがヘブライ語起源であることを思い出し、しまった!なんとも迂闊な返事をしたものだと、大いに反省。
家に帰り、あらためてOxfordのJewish Religion DictionaryのAmenの項 にあたってみると、旧約聖書には14度出てくるとある。さらに、かなり前に、必要が有って旧約聖書を部分的に少し勉強した時のノートを開いてみると、アーメンについてのメモも見つかった。年のせいか、すっかり忘れっぽくなっている自分をここでも見いだした次第。

ヘブライ語由来のこの語の語根は「まことに、確かに」という意味。
祭儀において唱和された模様が旧約聖書ネヘミア記8:6にある。
「・・・そこで学者エズラは、民全員の注目を浴びながら書物をひもといた。彼は民全員より一段高いところにいた。彼はこれをひもとくと、民全員が起立した。エズラが大いなる神ヤハウェを誉め讃える、民全員は手を高く上げて、『アーメン、アーメン』と唱和し、ひれ伏して顔を地面につけ、ヤハウェを拝した。・・・レビ人たちが民に律法を説明した。民はその場にいた。かれらは神の律法の書をはっきりと朗読し、解説を加え、朗読箇所の意味を理解させた」

また申命記27:9-26には
「モーセはレビ人たる祭司たちと共に、全イスラエルに告げて言った。『イスラエルよ。静かにして聞け。今日あなたはあなたの神ヤハウェの民となった。・・・あなたはあなたの神ヤハウェの声に聞き従い、今日私があなたに命じるヤハウェの戒めと掟を行わなければならない。・・・すべての民は答えて『アーメン』と言わなければならない。・・・」とある。
こうしてみると、アーメンと唱えることは祭儀・礼拝に参加するものたちが祭司や聖職者が伝える神の言葉・意志への誓約・確認・同意をあらわす意義を持つと考えられる。
先のユダヤ教辞典も”So be it"(そうあるべし)という英語を当てていて、シナゴーグ(ユダヤ教の集会所・教会)での礼拝でも祝祷への応答として、局面局面で差し挟まれて唱えられる、と説明している。

念のため、手元のイスラーム辞典(岩波書店刊)を調べてみると、やはりこの項目がある。イスラム教においても、“しかり、かくあるべし”の意味で、同意の応答を示す表現として礼拝時に唱えられる。この言葉は主にクルアーン(コーラン)第1章クアーティッハ(開扉)章をイマーム(宗教指導者、礼拝の導者)が読誦した後に、全員が同時にアーミーンと唱え、内容への同意を表明する。

旧約聖書について、一言。
この聖書は言うまでもなくキリスト教の聖典であるが、その大部分はユダヤ教の聖典でもある。『旧約』(「古い契約」)という言い方はキリスト教から見た時の表現で、ユダヤ教では単に聖書と呼んだり、タナハなどと呼ぶ。研究者などは中立的なヘブライ語聖書などと言う。

合唱をやっていると宗教曲を歌う機会も多いが、”アーメン”の他にもヘンデルの有名な『メサイア』のハレルヤ・コーラスで連呼される”ハレルヤ”も、案外語の由来を知らぬまま歌う人も多いのではないか。ちなみに、この語もヘブライ語由来で、「ヤハ(=ヤハウェ神のこと)を誉め讃えよ」の意味。神礼拝の場で讃美の頌栄句として使われる。数々の名曲が作られてきた『詩編』の始まりや終わり、またはその双方に付加されている。

アヴェ・ヴェルム・コルプスやアヴェ・マリアのアヴェAveはラテン語で、単独では「やあ、ようこそ」くらいの意味。通常「めでたし」「おめでとう」などと訳されている。後者は『ルカ伝』1:26、いわゆる受胎告知において、天使ガブリエルがマリヤに呼びかける言葉である。「御使いのガブリエルが・・・家に入ると乙女マリアに対して言った。『こんにちは、恵まれた人、主があなたと共に』」

ヨーロッパ中世音楽、キリスト教音楽を専門とされる金澤正剛によれば、「アヴェ」は呼びかけの挨拶だが、「こんにちは」では訳し足りず、呼びかけの中に“祝福”の気持ちも込められている、という。(金澤正剛『キリスト教と音楽』P.178) 
なお、プロテスタントではカトリックにおけるようなマリア信仰はないので、プロテスタントの礼拝では『アヴェ・マリア』は歌うことはないそうである。

声楽曲は楽音に言葉が伴うだけに、日本語の声楽曲に限らず、外国語であっても、常に意味を意識して歌いたいものだ。