2014年6月17日火曜日

集団的自衛権行使容認反対!


退職後、合唱を楽しむことを覚え、お陰で引きこもり老人にならずに済んでいる。とはいえ、日本の将来を考えると、歌い惚けてばかりいるわけにも行かない。
言うまでもなく、安倍政権が進める「安全保障政策」が、日本の将来を安泰にするどころか、危険にさらしかねない事を危惧するからである。

安倍政権は、「秘密保護法」、「日本版NSC(国家安全保障会議)の創設」につづいて、「集団的自衛権行使」容認のための憲法解釈の変更を、一内閣の閣議決定で決めようとしている。まことに乱暴なやり方だ。周辺国から見れば、日本は戦争する体制作りに邁進していると映るだろう。

「集団的自衛権」とはわかりにくい概念だ。自国が攻撃されていないのに「自衛権」とは奇妙な言い方だが、同盟国と目される国が攻撃された場合に共同で防衛にあたる権利、ということだろう。
日本国憲法では「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」とうたい、明確にこれの行使を否定している。これが日本の形だ。
安倍政権はこの日本の形を180度変えようとしている。「解釈変更」というのは全くのまやかしであり、実態は「憲法無視」だ。

ブッシュ(父)大統領のイラク戦争(湾岸戦争)時、日本はお金を出すだけで、「人的貢献」をしないとたたかれた。それゆえ、子ブッシュのイラク戦争時には、なんとか「復興支援」の名の下に自衛隊をサマワに派遣した。幸い人的被害がなかったのは記憶に新しい。
外交当局や自民党政権にとって、この時の経験から「集団的自衛権の行使容認」は日米関係上是が非でも実現しなければならない、と考えたのだろう。
緊張が高まりつつある東シナ海の状況を考えると、「日米安全保障条約」があるとはいえ、アメリカとの同盟関係をより強固なものにするためには、アメリカが関与する国際紛争に日本もアメリカに加担しなければならないと考えてのことだろう。日米安保は憲法の制約のため、相互防衛より日本庇護の性格のものだからだ。
端的に言って、この度の「集団的自衛権」問題はアメリカとの軍事同盟強化としてみるとわかりやすい。脅威を増す中国に対する抑止力としてアメリとの軍事同盟をより強固なものにしておきたい、との思惑だろう。

戦後70年になんなんとする今、日中関係は戦後最悪といえる。悪化した国同士の関係ではどちらかが一方的に悪い、と言うことはまずない。双方に関係を悪くする要因が存在し、それをまた外交カードとして利用しようとするからこじれるばかりだ。特に、内政において多大な困難を抱える中国の場合、ナショナリズムを刺激し、意図的に外国と緊張を高めることもあるだろう。また、巨大な利益集団でもある中国軍部は、政権内部の権力闘争と相まって、政権を揺さぶる意図を働かせるかもしれない。
尖閣諸島の領有権問題は、まさに共産党一党独裁の中国政府にとって、また中国軍部にとってまたとない外交カードと映ったかもしれない。加えて、日本の保守政治家は歴史認識問題や靖国参拝で外交カードを見返りなしで提供してくれる。
いったん悪くなった外交関係はスパイラル的に悪化しかねない。最悪は戦争に行きつくことだ。

領土問題はナショナリズムを刺激しやすく、下手をすると戦争を引き起こしかねない。海底資源も期待するほどのものでなく、人も住まぬ単なる岩礁に過ぎない尖閣諸島を巡って、戦争に至るとは双方にとって愚かな話だ。

為政者はよく「国民の生命と財産を守る」という。本気でそう考えるのならば戦争につながる芽を未然に摘むことだ。そして、日本は太平洋戦争で戦った国や東アジアの国とはいかなる場合であっても戦争を行ってはならない、と強く思いを定めるべきだ。もし戦争に至ったなら、またもや未曾有の戦争災害が双方の国民を襲うからだ。ベトナム戦争以降のアメリカの数々の戦争を見ても、勝者はなく、双方が深く傷つき、戦争終結がいかに難しいか、容易に見て取れる。

安倍政権はこの度の集団的自衛権行使容認は戦争抑止のため、と抗弁するだろう。しかし、中国のような大国には、緊張を高めこそすれ、抑止力としては働かない。最も効果的な戦争抑止は様々な面で両国関係を強めることだ。

冷戦期に較べ、経済の面でのつながり、人的交流が飛躍的に大きくなった日中関係が悪化することは双方の国民にとっても、周辺国にとっても百害あって一利もない。

繰り返し言おう。集団的自衛権行使容認は、アメリカとの軍事同盟強化のためとはいえ、周辺国との戦争抑止には働かない。むしろ緊張を高めるマイナス要因となる。さらに、アメリカの戦争に加担し、人の命を奪い、また奪われることにつながる。

甥の娘が最近大学を卒業し、海上自衛隊に入ったこともあり、この問題にますます無関心ではいられない。

憲法でうたい、戦後70年営々と築いてきた日本の形を変えるべきではない。このように考えることこそ、日本の保守の思想である。