2012年10月20日土曜日

バスクの合唱団


 マーラーの交響曲第2番「復活」の演奏会が間近に迫った。市民オーケストラと市民合唱団を母体に、この演奏会のために結成された大半がアマチュアのメンバーであるが、オケ合わせを重ねるに従い、良くなってきた。前回の練習時には、合唱団はいつ立ちあがるかの指示があった。You Tube などで、どのタイミングで立つのか少し調べてみた。その中でこれはいいなと感じたのは、以前録画してあった2003年8月のルツェルン音楽祭でのアッバド指揮による演奏である。合唱団は合唱部分の半分は座ったままで、途中「勝ち取った翼で光に向かって飛び去ろう」が始まる前のところで立っている。ヴィデオでは立ち上がる場面が映っていないので、正確なタイミングはわからないが、この合唱部分に先行するソプラノとアルトのソロが歌われているときに違いない。歌詞の内容から見て、これもありだな、と思った。

 ところで、以前は見逃していたのだが、この演奏で歌っている合唱団はオルフェオン・ドノスティアラ Orfeon Donostiarra というスペイン北東部バスク地方の合唱団である。映し出されるメンバーの顔ぶれを見ていると、職業が様々のアマチュアの合唱団かと思ったが、それにしては技術も確かなので、改めて調べてみたところ、1897年にバスクの主要都市サン・セバスティアンで結成された110年以上の歴史のある合唱団ということである。これまでに名だたるオーケストラやマエストロたちとも共演している。その中には小澤征爾も含まれる。この合唱団のコンセプトの一つにバスク地方の音楽の保存と普及があげられている。更には結成以来アマチュアを維持しながら、高い芸術性とハーモニーの美しさへの飽くなき情熱を掲げる。(本合唱団ホームページ)
 
 欧州経済が混迷を深める中で、その震源地の一つに挙げられるスペインでは、バルセロナがその州都であるカタルーニャ自治州とバスク自治州がスペインからの分離独立を求める動きを強めている。両自治州は歴史的にみても常にマドリッド中央政府から遠心力を働かせてきたが、特にフランコ独裁体制のもとでは過酷な弾圧を受けた。ピカソの「ゲルニカ」は、スペイン内戦時にフランコ軍に加担したナチが、バスクの小さな町に対して行った世界最初の無差別殺戮を描いたものとして知られる。サッカーのスペインリーグ「リーガ エスパニョーラ」のFC バルセロナとレアル・マドリッドの対戦、いわゆる「クラシコ」は、中央対地域の代理戦争の様相を呈する。つい最近も第7節のクラシコではカタルーニャの旗がバルセロナのホームスタジアム カンプ・ノウに翻り、場外では独立を巡って舌戦が繰り広げられた。他方、バスク自治州の伝統ある有力チーム、アスレティック・ビルバオはチームコンセプトとして、バスク人選手のみを登録している。レアル・マドリッドがまるで世界選抜のようなチームであることとは対照的である。

 バスクの起源は不明であるが、一説にはクロマニヨン人の末裔ともいわれる。言語も、周囲のインド・ヨーロッパ語群とは全く関連を持たず、世界のどの言語とも系統的なつながりがない。バスクの人口は国境をまたぐフランス西部の住民を入れても300万足らず。世界有数の合唱団がこのスペイン辺境の地にその根拠をおいているのである。

2012年7月13日金曜日

「歓喜に寄す」を歌う

一年の半分が過ぎ、「第九交響曲合唱付き」の練習に入った。
昨年秋、20数年ぶりで復帰した合唱団で配布した駄文を以下に転載する。


                                      2011年11月15日            
              「歓喜に寄す」を歌う
                           
 
歓喜よ、神々の美しい火花、
 至福の園の娘、神々しきものよ、
われらはその火花に酔いしれ、そなたの聖所に踏み入る。

この世の習わしがきつく分け隔てたものを、
そなたの不思議な力が再び結びつける。
そなたのやさしい翼が覆うところ、
すべての人、みな兄弟となる。
    (合唱)
 幾百万の人たちよ、
 さあ、抱き合おう!
 この口づけを全世界に!
 兄弟たちよーー星空の上には
 かならずやいとしい父がおられるのだ。

首尾良く一人の友を得たるものは、
優しい女性を得たるものは、
いや、この世界でたとえ一つであれ、
人の魂を自分のものといえるものは、
われらとともに歓声を上げよ!
だが、それがかなわぬものは泣き濡れて、
この人の輪から忍び去るがよい。
    (合唱)
 この大きな人の輪に住まうものは、
 共感に身を捧げよ!
 未知なるものがおわす
 あの星空へとそれは導く。

あらゆる存在は歓喜を
自然の乳房から飲む、
善人も、悪人も皆
歓喜のバラのなごりを追う。
自然はわれらにくちづけと葡萄と、
死の試練を経ながらも、一人の友を与えてくれた、
快楽なら虫けらにも与えられた、
だが、喜びの天使ケルビムは神のみまえに立っている。
    (合唱)
 君たちはひざまずいているだろうね、幾百万の人たちよ!
 世界よ、おまえは創造主の存在を感じているだろうか。
 星空の上に創造主を探し求めよ!
 星の上にこそ彼はおわすに違いない。

歓喜は永遠なる自然における
強力なゼンマイだ。
歓喜、歓喜こそが
巨大な宇宙時計の歯車を動かす。
歓喜が花を芽から誘い出し、
いくつもの太陽を天空から誘い出し、
天文学者の知らぬ天球を
天空で転がす。
    (合唱)
 天空のいくつもの太陽が
 壮麗な大空の広野を楽しげに飛翔するように、
 兄弟たちよ、勇士が喜び勇んで勝利に向かうように、
 君たちの道を進め!

(以下略)

 以上は「歓喜に寄す」と題する8節からなるシラーの詩の前半4節を試みに訳したものである。ベートーヴェンはこの部分を、一部改編と冒頭部分のレチタティーヴォを加筆して、第4楽章に用いた。
 シラーのこの詩は1785年、26才の時に作られ、翌年発表されると、当時のドイツ語圏では熱狂的に迎えられた。愛と友情に酔いしれ、「全世界に口づけ」を投げかける激情は新しい世代の心をつかんだ。当時はSturm und Drang(疾風怒濤)の時代。自由、平等、博愛が叫ばれるフランス大革命の前夜の時代でもある。若きベートーヴェンも時代の空気を存分に吸い込んでいた一人であった。生涯にわたってシラーに傾倒した彼が8つの交響曲を完成させた後、12年たってから最後の交響曲にこのシラーの詩を編み込んだ。
 この詩を考えるとき、一人の友人の存在に目を向けざるを得ない。貧しい軍医の家庭に生まれた若きシラーがこの詩を書いた頃、すでに作家として世に出ていたとはいえ、彼は経済的な困窮から解放されずにいた。その彼に温かい手をさしのべたのが、3才年上の友人、高級官吏でもあったケルナーである。皮相的に見れば、この詩は困難を抱えた友に友情の手を差し出してくれたことに歓喜して成立した詩、ともいえるのである。
 しかしこの詩には時代の空気を吸い込み、時代の若者たちに熱狂的に迎えられるフリーメーソン的精神が横溢している。シラー自身はフリーメーソンの会員であった証拠は無いものの、ケルナーはそのロッジ(支部)に属していたと言われている。この詩の持つ普遍的な理想主義的精神は時代を超えて、強いメッセージ性を帯びて訴えてくる。それ故に、今日も折に触れ演奏されるのであろう。
 シラー自身は後年、この詩について「感情が燃えているが、下手な詩で、完全に乗り越えた発展の一段階を記しているに過ぎない」とケルナーに述べている。つまり「若気の至り」というわけである。筆者自身も、20数年前に「第九」合唱に取り組んだとき、表現が大仰で、単純な感情の発露と内容の乏しさに戸惑いを覚えたことを思い出す。加えて、ヒットラーの誕生日の祝いにフルトヴェングラーの指揮でこの曲が演奏されたことを考えると、無邪気に歌う気持ちになれなかった。ウィーンフィルのコンサートマスター、キュッヒル氏が言うように、「第九」は3楽章まででよかったのではないか、あるいは、悪しく言えば第4楽章のどんちゃん騒ぎのような、良く言えば祝祭的な声楽部分を削った方がいい、などと思ったりした。しかし、ドイツ統一の高揚した気分の中で、涙を流しながらこの曲に聴き入るドイツ人たちを思い返しながら、あらためてこの曲に耳を傾けると、単純で普遍的なメッセージが心に響いてくる。それはもしかすると、日本が未曾有の大災害を経験して、あらためて人の絆の大切さ、社会的連帯の必要性を心に刻んでいるからかもしれない。

(館林第九合唱団配付資料)



2012年7月3日火曜日

ユーロ2012年 スペイン 2連覇達成!

このたびは合唱と何の関係も無い話。

私はサッカー競技の経験はないが、メキシコオリンピック(1968年)で日本代表が銅メダルを獲得して以来のサッカーファンである。日本代表が不甲斐ない時代にはサッカーから離れたが、Jリーグがスタートするとともにサッカーへ関心を戻した。スペインサッカー見たさからWOWOWと契約しているほどである。
今年のユーロ大会はウクライナとポーランドの共同開催。6月8日に開幕して昨日7月1日に決勝が行われ、全32試合すべて観た。
大会の関心は、スペインが4年前の前回大会、更には2年前のW杯に続いて主要大会3連覇達成出来るか、はたまたドイツ代表がそれを阻止するか、に向けられた。ドイツ代表の前評判は高かった。ドイツは予選、一次リーグを通じて全勝で準決勝まで駒を進めてきた。ところが、故障者続出やら八百長疑惑などで前評判が高くなかった苦手イタリアに準決勝で完敗。一方スペインはチームとしてのピーク時が過ぎ、若きドイツの勢いに敗れるのでは、との見方も強かったが、準決勝でC.ロナウド擁するポルトガルをPK戦の末何とか下し、ドイツを破ったイタリアと決勝を戦った。
軍配が上がるのは、延長戦を含め120分戦った優勝候補スペインか、ドイツを破って勢いに乗る攻撃スタイルに変貌したイタリアか。結局のところ、中2日のイタリアの足は重く、中3日のスペインはポルトガル戦とは見違えるほど動きがよかった。イタリアは前半早々に故障者が出、おまけに2点リードを許した後半、交代で入った選手が故障で退場。一人少ない10人で2点を追う展開となった。この時点で明らかに選手の動きが一層悪くなった。その後更に2点加えられ、スペインに圧倒された。
かつて、スペインはW杯などでは優勝候補に挙げられながら、いつも期待を裏切ってきた。しかし、4年前の前回大会以来のこのチームはそれまでとは異なる。素早い玉回しによるパスサッカーで試合を支配し、可能性の低いシュートやロングパスは試みない。細かく玉をつなぎ、一瞬の隙を突く。今のスペイン代表にはエースストライカーがいないこともこうした戦術をとることになっているのかもしれない。F.トーレスにはかつての輝きを感じられない。ドイツのように高さで勝負することも出来ない。おそらく日本代表と比べても今のスペインチームの平均身長は大差ないだろう。
デル・ボスケ監督がとった戦術はトップを置かない、「ゼロトップ」と見なされた。FWを置かないのである。否、一度FWのネグレドをトップにおいたが、全く機能しなかった。決勝戦ではMFのセスクがトップの位置に入った。しかしその役割は、点をとることよりもディフェンスを意識したものであった。
このサッカースタイルは、スペインサッカーと言うより、FCバルセロナの戦い方なのだ。この代表チームにはバルセロナの選手が7人参加。内決勝にはその6人が出場している。左サイドバックのJ.アルバはもともとバルセロナのカンテラ育ち、バルセロナへの移籍が決まっているので、スペイン代表はバルセロナのチームと言いたくなる。これに故障で出場できなかったビジャやスペインチームの顔とも言えるプジョルが加わっていれば、バルセロナ単独でスペイン代表チームを構成できるほどである。バルセロナの宿敵、R.マドリードの選手たち、GKのカシージャスやセルヒオ・ラモス、シャビ・アロンソ、アルベロアもバルセロナのスタイルに良くなじんでプレーしているように見えた。
このバルセロナの戦術を支えているのが、二人のMF、シャビ・エルナンデスとイニエスタである。彼らは決して汚いラフプレー、レフリーを欺くようなプレーをしない。この二人はチームに品格を与える力を持つ。相手チームの選手からも尊敬されていることは試合の中でも感じられる。
スペインはフランコ時代の悪政も手伝って、地域対立の激しい国であった。北東に位置するバスク地方は分離独立を求める武装闘争が激しいこともあった。バスク地方の伝統ある強豪A.ビルバオはバスク出身者に限ることをルールにしている。スペインでは代表チームなど応援するものは少なく、なによりも地域のチームを大事にするとはよく言われたことだ。しかし、今のスペイン代表チームを観ていると、出場機会の無かったビルバオの2人の選手、ジョレンテとハビ・マルチネスが懸命にチームをもり立てる姿が見られた。ボスケ監督の人望によることも大きいのであろうが、チームとしての強い一体感が優勝に導いたのだと思う。今スペインは経済的に大きな困難を抱えている。このたびの優勝がこの困難を乗り切る力を国民に与えることを期待したい。




2012年6月29日金曜日

イギリスのマドリガルを楽しむ

来年5月の演奏会に向けて、今、イギリスのマドリガルを練習している。
ほぼ半世紀前の学生時代に、モンテヴェルディのマドリガルを歌って以来のことだ。

マドリガルは西洋音楽にあって、バロック以前のイタリアで誕生した世俗的な多声歌曲である。ミサ曲やモテットなど宗教音楽がラテン語によるのに対して、それぞれの母語によるものであるから、世俗的であると同時により民衆のものでもある。詩的イメージも牧歌的なものが多く、’マドリガル’の名の由来も「家畜の群れ」の意味の'mandria'からと考えられたこともあるが、語源ははっきりしないらしい。女性への愛や、自然の美しさを歌ったものがおおいが、内容はそれに留まらなく、多様である。昔歌ったモンテヴェルディのマドリガル、’lasciate mi morire'「私を死なせて」や'baci'「口づけ」が今でも口をついて出てくる。

以前、イギリスのキングズ・シンガーズ'King's Singers'による「マドリガル・ヒストリー・ツアー」がTVの有料チャンネルで放映され、改めてマドリガルの魅力に触れることが出来た。YouTubeにこのキングズ・シンガーズが歌うマドリガルがアップロードされているので、容易に楽しめる。今練習しているイギリスのマドリガルはポピュラーなものばかりで、ステージ第1曲目に歌う'Now is the month of maying'(T.モーリー曲)は「マドリガル・ヒストリー・ツアー」のタイトル曲として使われている。

マドリガル盛時の16,7世紀にはイギリスにおいても盛んになり、数多くのマドリガルが作られている。イタリアのものとは異なり、あまり技巧的でなく、歌詞も素朴なものが多く、和声も美しいので、親しみやすい。マドリガルは、キングズ・シンガーズがそうであるように、本来は5,6名の小さなアンサンブルで楽しむものかもしれないが、混声合唱で歌っても何ら違和感がない。和声の楽しさを味わうためにも合唱団の愛唱曲に入れたいものだ。

2012年6月1日金曜日

Ave Verum Corpusを歌う

7月のコンサートに向けて、次第に練習も熱気を帯びてきた。

オープニング曲は標題のAve Verum Corpus。「めでたし、真のお体よ」の挨拶で始まるこの典礼曲、モテットはモーツァルトによるものが最も有名である。モーツァルトがこの世を去る半年ほど前の1791年6月、ウィーン近郊の保養地バーデンに湯治のため滞在していた妻のコンスタンツェを何くれと無く世話してくれていた聖歌隊指揮者A.シュトルのために、聖体節の礼拝用としてこの小品をバーデンで書いた。あるモーツァルト伝では、シュトルがコンスタンツェに思いを寄せていたとの記述があるが、真偽はわからない。(アルフレート・アインシュタイン著『モーツァルト その人間と作品』)優しく、穏やかな冒頭部ではじまり、静謐な響きで終わるこの作品をみると、精神的にも、肉体的にも、経済的にも困難を抱えていたこの時期、モーツァルトは作曲の中に安らぎを得たのであろうか。

めでたし、乙女マリアからお生まれになった真のお体よ
世の人のため、真の苦しみを受け、十字架にかけられた
刺し貫かれたその脇腹から、水と血が流れた
我らのために、死の試練を前もって味わわせ給え

この典礼文の「刺し貫かれたその脇腹から、水と血が流れた」の部分はヨハネによる福音書の第19章31−34に基づく。

「さて、その日は準備の日だったので、その週の安息日は大祭日であったから、
それらの体が安息日に十字架の上に残らないよう、ユダヤ人たちは、彼らの足を折っ  て取り除くようにと、ピラトゥスに頼んだ。そこで、兵士たちが来て、彼とともに十  字架に付けられた第一の者、またもう一人の者の足を折った。イエスのところに来て  みると、すでに死んでいるのを見て、その足を折ることはしなかった。しかし、兵士  たちの一人がその槍で脇腹を突いた。すると、すぐ血と水が出てきた。」
(小林稔訳『ヨハネによる福音書』岩波書店刊)

ちなみに、マルコ、マタイ、ルカの共観福音書にはこの「死の確認」の記述は見られない。

言葉による宗教とも言われるキリスト教では、その言葉は音楽を伴って表現されるものと考えられてきた。西洋音楽の歴史をちょっと振り返れば、キリスト教と音楽が不可分な関係にあったことが容易に見て取れる。ミサ曲にしろ、コラールにしろ、これら宗教音楽は教会という聖なる空間における典礼のためのものだ。キリスト者にあらざるものとして、世俗的な空間で歌うにしても、言葉と音楽の結びつきをしかと受け止めて歌いたいものだ。






2012年5月28日月曜日

分離唱

当初、ブログを始めた頃は、せめて週に一度は投稿したい、と考えていた。ところが、暇をもてあますはずの高齢者であるにもかかわらず、意外にも一日があっという間に過ぎていくのである。季候がよくなったせいもあって、昨年は震災・原発事故に気が滅入り耕作を放棄していた菜園や庭仕事が忙しい上に、四月から新たにさいたま市の合唱団に参加することになり、来年に予定されている演奏会3ステージ分の曲をなんとか歌えるようにするため、ピアノを前に練習に明け暮れる毎日となった。

新たに加わった合唱団では、ボイストレーニングに続いて、分離唱とカデンツを丁寧に行う。分離唱を除けば、たぶんどの団体でも似たような練習の入り方だろう。この分離唱について、もしかするとあまり馴染みのない人も多いかもしれない。合唱のための音感指導の一種なのだが、器楽レッスンにも取り入れている指導者もおられるようだ。私自身は経験が浅いので、ここで詳細を述べることはできないが、きわめてシンプルな練習方法だ。
長三和音C,E,Gをピアノで同時に鳴らして,良く聞き取り、その中間のE音をピアノの和音に溶け込むように発声する。和音を良く聞くために、発声は p か mp が望ましい。さらに外側のC音、G音も同様に発声する。また、他の三和音でも同様に行う。もちろん個人で出来る練習だが、集団の場合にはピアノの音だけでなく、他のメンバーの声にも耳をひらくことになる。ボイストレーニングが発声器官のトレーニングに対して、分離唱は発声よりも耳の訓練と言える。特に合唱や器楽アンサンブルに必要な和音感を育てる訓練方法だ。

この分離唱のトレーニングを、今から半世紀ほど前の学生の頃、当時所属する合唱団に就任したばかりの若き合唱指導者増田順平先生から施された。私自身は2年足らずで団を離れたので、その成果を実感することなく最近まで忘れていたのであるが、このたび増田先生が元気に指導されていることを知り、その合唱団に参加したところ、50年前と同様、分離唱から練習が始まり、懐かしさがこみ上げてきた。

分離唱は増田先生の専売特許ではない。元々、佐々木基之が唱導した指導法で、アカデミーの世界では黙殺乃至軽視されてきたように見える。というのも、彼の著作は再販されることなく、今では入手が困難である。もしかすると初等・中等の音楽教育ではある程度認知されているのかもしれない。

増田先生からまだその詳細を聞いていないが、先生が分離唱に出会うのは、出身校の山形県立山形南高等学校時代で、当時男声合唱団を指導していた森山三郎を介してものだったようである。かなり高いレベルにあったといわれるこの男声合唱団のOBが、卒業生の増田順平先生を指揮者に迎え、山形南高校OB合唱団創立60周年の記念演奏会を昨年開いている。今も山形南高校にこの立派な男声合唱団の伝統が生きているのだろうか。

分離唱は和音感を養うわけだが、他者の発唱に耳をひらくことにつながる。佐々木基之の著書も『耳をひらく』と題する。以前に書いたように、アンサンブルでは徹底して他者に耳をひらく必要がある。合唱において「聞き合うこと」が強調されるように、ハーモニーはこの「耳をひらくこと」無くして成り立たない。自己主張の強い発声では集団カラオケになりかねない。

以前、合唱におけるヴィブラートについて書いたが、増田先生の指導ではしばしば、「ノンヴィブラートで」、「声を揺らさないで」と指示が出る。歌う本人にはこの気持ちがよいヴィブラートが、時には美しいハーモニーを損なう。分離唱はヴィブラートを極力抑える訓練にもつながるように思う。

2012年4月9日月曜日

宗教曲を歌う

所属する合唱団で、今、宗教曲小品を2曲とフォーレのレクイエムを練習している。小品の方は「リーダーシャッツ」に載っているポピュラーなものだ。当然ラテン語で歌うので、合唱経験浅い身には、まずラテン語の発音になれる必要がある。学生時代にラテン語をやりかけたが、名詞第1変化で挫折。以来、気にはなりながらもラテン語に取り組むことはなかった。ところで、通常学ぶラテン語は、古典ラテン語。ウェルギリウス、キケロー、カエサルなど文人が輩出した紀元前1世紀から、セネカ、タキトゥス、プリーニウスなどの時代、紀元1,2世紀にかけての時代の文語である。学校で学ぶこの古典ラテン語の発音が復元されたのは19世紀末らしい。それ以前はそれぞれの母語流儀で発音していたという(アンリエット・ヴァルテール著『西欧言語の歴史』153頁)。

話はややこしくなるが、宗教曲のラテン語の発音は、この復元された古典ラテン語の発音とは異なり、いわゆる教会ラテン語。カトリック教会の長い伝統の中で引き継がれてきたものだ。しかしこれとて,母語色が抜けきらず、イタリア以外の地のカトリック教会ではわざわざ「イタリア語式」に倣うよう求められこともあったという(上掲書154頁)。われわれが歌う宗教曲は古典ラテン語の発音とは異なる、イタリア語なまりのラテン語と言っていいのかもしれない。いわば口語ラテン語のなれの果ての一つがイタリア語であることを考えると、やや滑稽な気がする。親が子供の影響を受ける話だからだ。

さて、今練習しているモーツァルトの「アヴェ ヴェルム コルプス」の中の'de Maria Virgine'。’ヴィルーネ’と発音したものか、’ヴィルーネ’と発音したものか迷っている。古典ラテン語なら’ウィルギーネ’であろうが、教会ラテン語の発音に倣うとすれば’ヴィルジーネ’、しかしドイツ人モーツァルトの曲であることを考慮すると、ドイツ語に訛って’ヴィルギーネ’と歌ってみたい気もする。でも、モーツァルトの生まれ育ったザルツブルクは当時司教座があった、ローマカトリックの直轄地で、イタリア色の強い町・・・。結局、YouTubeでいくつかの演奏を聴いてみたところ、どうやら’ヴィルーネ’と歌っているようだ。ただドイツ人はどちらで歌っているか、興味がある。

話は一転。われわれが歌う宗教曲は当然宗教行事と結びついたものだ。欧米では、演奏される場所も教会がほとんどで、日本のように世俗的なホールで歌うことはそう多くないであろう。昔、ウィーンに滞在していた折、聖シュテファン教会のそばを通りかかると、モーツァルトのレクイエムが聞こえてきたのを懐かしく思い出す。ネット上にあるバーンシュタイン指揮のアヴェ ヴェルム コルプスも演奏会場はカトリック教会だ。非キリスト教徒の私がこうした宗教曲を歌う意味を今一度吟味する必要がありそうだ。



2012年3月14日水曜日

ヴィブラートと合唱

歌声や弦楽器などではヴィブラートを加えることで音色が豊かなものになる。ヴィブラートは音高、音強に「揺れ」を作るものだ。なぜこの微妙な揺れが聞くものに心地よさを与えるのか、その生理的説明はあるのだろうが、残念ながら私は知らない。専門家には常識的なことで、論ずるに値しないことなのかもしれないが、ヒトにとって心地よいこのヴィブラートが、アンサンブルには時に阻害要因になるように思える。実際、ルネッサンス期、バロック期の室内楽曲、歌唱曲などを演奏するアンサンブルではヴィブラートをつけていないように見える。ヴィブラートをつけないことで、あの透明感のあるハーモニーが生まれのであろう。
 合唱の場合はどうか。時々日本の合唱コンクールをラジオで聞くことがある。さすがに全国レベルの小中高生の合唱はハーモニーが美しい。数年前に札幌に滞在した折、全国大会入賞常連校の「札幌旭丘高校」混声合唱団定期演奏会を聞く機会があったが、見事な演奏に舌を巻いた。その時はその若い声が持つ声の質そのものをうらやましく思った。しかし、今から考えると美しいハーモニーを作っているのは声の質だけでなく、声に「揺れ」「震え」がないことにあるのではないかと思っている。私の乏しい経験でも、十代の頃はヴィブラートがつかなかった。その後あまり歌うことがなかったので、いつ頃から自然にヴィブラートがつくようななったのかわからないが、今ではヴィブラートをとる方がかえって難しいように思える。これは単に老化に伴う「震え」に過ぎないのかもしれないが。
 ヴィブラートは音程面から見ればほんのわずかピッチを外すわけであるから、完全に同じピッチで同時に揺れない限り、ハーモニーは少し濁るはずである。集団によるこの揺れがもたらす音の濁りは、音に厚みや太さをもたらし、曲によってはそれを必要とするものも当然あるであろう。しかし、私の乏しい合唱経験の中で、指導者や指揮者からヴィブラートについての指示は聞いたことがない。これは合唱ではヴィブラートをつけないのが常識で、わざわざ指示することでないのか、それともあまり気にかけるようなことではないのか、そのあたりのことがわからない。最近所属する合唱団の指揮者にこのことを話したら、あっさりと「合唱ではヴィブラートをつけないですよね」と、こともなげに言われた。
 日本合唱連盟の理事長をされている浅井敬壹氏の回想記によると、氏が率いた合唱団「京都エコー」が全国合唱コンクールで優勝を果たすために何が足りないか、本番一ヶ月前に音楽評論家の皆川達夫氏に聞いてもらったところ、「京都エコーからヴィブラートがなくなり、ピアニッシモが歌えるようになったら、すばらしい合唱団になる」といわれ、一ヶ月間、ひたすらヴィブラートをとることに練習を集中した、その結果が金賞受賞につながった、とある。(浅井敬壹「私の合唱人生」、戸ノ下達也・横山琢哉編著『日本の合唱史』2011年、青弓社、181ページ)世界的に評価が高いアルノルト・シェーンベルク合唱団や前に取り上げたアマチュアのヴェルニゲローデ放送青年合唱団などを聞くと、その澄んだハーモニーの基になっているのは、良く訓練された発声法だけでなく、ヴィブラートの付け方に秘密があるのではないかと想像している。
 合唱ではないが、オーケストラにおけるヴィブラートの付け方に関して興味深い話に出会った。それは「ティーレマンと語るベートーヴェンの交響曲シリーズ」に出てくる話で、指揮者のティーレマンが第九交響曲の緩徐楽章、第三楽章を演奏する当たって、弦楽器のヴィブラートについてヴァイオリン奏者に相談を持ちかけたところ、フレーズにふさわしく「適切に」angemessen 弾く、と返答があったという。ティーレマンが相談を持ちかけた相手が誰なのか、名前が挙げられなかったが、そのエピソードを紹介する直後の演奏場面ではコンサートマスターのライナー・キュッヒル氏の左手がアップで捉えられているところからすると、「適切に」と答えた人物は明らかであろう。ティーレマンの相談の意図は何であったのか不明だが、ヴィブラートの早さや、振れ幅の大きさに少し注文を付けたかったのかもしれない。キュッヒル氏にしてみれば、われわれに任せろと言うことであろう。ティーレマンはこのエピソードを紹介した後、このような優れた演奏者集団と仕事ができる幸福感を述べている。
 さて、私のような経験の浅い合唱団員の場合、ヴィブラートを「適切に」付ける芸当が出来ない。ともすると、カラオケで歌うように心地よく、独りよがりに歌いかねない。われわれアマチュアの合唱団は人様にお聴かせするのではなく、気持ちよく歌うのが目的だと言うのであれば、話は別だが。

2012年2月28日火曜日

ヴェルニゲローデ Wernigerode の合唱団

合唱ファンなら、ヴェルニゲローデというと、世界的に名の知れたドイツの合唱団のことを思い浮かべる人も多いだろう。ハルツ山系の北側に位置する、人口わずか3万5千人ほどの、美しい木組みの家が立ち並ぶ小さな町で、観光で訪れる日本人も多い。この町にある音楽専門のギムナジウム(9年生の中高等学校)には年齢ごとに4つ合唱団があり、なかでも「ヴェルニゲローデ放送青年合唱団「Rundfunk Jugendchor Wernigerode」はレコードやCDでも知られ、2006年には来日公演している。他に、11,12歳の子どもからなる少年少女合唱団 Kinderchor 5/6 Wernigerode、13,14歳の少年少女合唱団 Kinderchor 7/8 Wernigerode、さらには15歳〜18歳からなる女性合唱団 Mädchenchor Wernigerode はいずれもコンクールなどで1位を獲得するなど、レヴェルは相当高い。ヴェルニゲローデには他にもレヴェルの高い合唱アンサンブル(その一つに,2007年にドイツでグランプリを獲得したヴェルニゲローデ室内合唱団 Kammerchor Wernigerode がある。この合唱団は上記合唱団の出身者からなり、学生時代は寮生活をともにしている)がいくつかあり、合唱の一つのメッカと言ってもいいだろう。日本でも「ヴェルニゲローデ放送青年合唱団」によるドイツ民謡の合唱CDが売り出されているが、そのハーモニーの美しさは秀逸である。
この町にこの世界的な合唱団が誕生したのはそう古くない。旧東ドイツ時代の1951年、当時の高等学校に着任した若き音楽教師フリードリッヒ・クレル Friedrich Krell (1928年生まれ)が校内に合唱団を設立し,その後45年間の長きにわたって指導に当たった。この合唱団が「ヴェルニゲローデ放送青年合唱団」の名を戴くようになったのは1973年のこと。その間学校に音楽科がもうけられ、20年ほど前に音楽専門のギムナジウムに再編成された。この音楽ギムナジウムは特に合唱に力を注いでいる。一人の指導者の熱意がドイツの小さな田舎町に大いなる伝統を築く一つの例だ。

ところで、You Tube にこの合唱団が歌っている動画サイト(http://www.youtube.com/watch?v=ztY9axePaMc&feature=related)がある。曲はEvening Rise というネイティヴ アメリカンのフォークソングらしい。単純素朴なメロディーでありながら、よい編曲とこの合唱団の優れた演奏で耳にいつまでも留まる,美しい曲だ。2,3年前の投稿のようなので、以前話題になったのかもしれないが、私には初めての曲だ。アンコール曲にこの曲などいいのでは、などと思う。ネットで楽譜が入手できないか調べても今はまだ見つからない。どなたかお持ちではないだろうか。あるいはどなたかに頼んで楽譜を起こしてもらおうかとも考えている。




2012年2月24日金曜日

聞き合うこと

合唱にとって大切なことの一つに、「聞き合うこと」が挙げられる。指導者・指揮者が口を酸っぱくして言うことだ。わかっていても、悲しいかな、合唱を始めて日が浅い私などは,譜面の内容、つまり音程、リズム、歌詞,諸音楽記号などに注意を奪われ、余裕が無く、なかなかこの基本を忘れがちになる。どうもこの基本がともするとおろそかになるのは、われわれのようなアマチュアの合唱団だけのことではないのかもしれない。
ウィーンフィルといえば世界最高峰のオーケストラの一つ。その美しい音色の基になっているのは、師弟関係による奏法の統一性、ホルンなどにみられる独自の楽器群などいろいろ言われてきたが、先だってTVで観た団員のインタビューで、興味深い話があった。ご存じの方も多いと思われるが、ウィーンフィルのメンバーは全員、夜は国立歌劇場のオーケストラ・ピットにおいて交代で演奏している。毎年9月1日から翌年の6月30日まで、国立歌劇場管弦楽団としてほぼ毎晩演奏し、このほかにウィーンフィルとして、定期演奏会、各種演奏会、外国への演奏ツアーなど、おそらく世界で最も忙しいオーケストラであろう。このオーケストラの美しい音色の秘密が、実は「他者に耳を傾けること」にある、と団員が説明しているのである。歌劇場のオーケストラ・ピットでは、否応なく歌手たちの歌に耳を傾けざるを得ない。歌手たちに助け船を出すプロンプターがいるとはいえ、演奏における「事故」がつきものらしい。指揮者も万全でないことがある。臨機応変、「事故」に備えて常に「聞く」ことが自然に身についている、とインタビューに答えるコンサートマスターの一人が言っていたのがおもしろかった。プロ中のプロともいえるウィーンフィルにして、「聞き合うこと」という基本が強調されることに新鮮さを感じた。
私が学生時代にほんの一時期所属した合唱団の指揮者で、東京混声合唱団創設者の一人、合唱指揮者にして編曲者増田順平先生も、発声訓練も大切だが、何よりも聞き合うこと、各人が他人の声と自分の声を良く聞きあえる「耳」を開くこと、その聞き合う「耳」が自然な感覚を呼び起こし、互いに感じ合うことを悟らせ、全体の中で自分を生かすことを知るようになり、ついには、一体となって合唱を生きたものにするし、互いに響き合うことに喜びと感動を感じ取れるようになる、と述べている。(「合唱界」1964年6月号) 
この「聞き合う」「他者に耳を傾ける」「他者を思いやる」という姿勢は、当然自分に余裕が有ることが前提だ。私の場合、先ずは曲を楽譜なしに指揮者に向き合い、余裕を持って歌えるようにすることが先決なのは言うまでもない。

2012年2月18日土曜日

高齢合唱団員の戯れ言

ブログなるものへの初挑戦。もとより多弁でも能弁でもない,ただの暇人の戯れ言とあってはいつまで続くやら。駄文につきあってくださる方がおられるのなら、望外の幸せ。
今後、退職後少し身を入れて取り組み始めた合唱を話題の中心に置いて、身辺雑記風に綴りたいと思う。

今筆者は4つの合唱団に所属している。といっても、練習頻度はそう多くなく、毎週4つを駆け回るということにはならない。少し大変なのは、覚える曲の数が多いこと。ご多分に漏れず、年のせいもあって、歌えるようになるまで時間がかかる。何とか他の団員に迷惑がかからぬよう、暇に任せて練習に励んでいる。

今週の「第九合唱団」の練習の折、指導者の先生(多田羅迪夫、東京芸術大学教授)が思い掛けず、ブレヒト(Bert Brecht)や、彼と結びつけて論じられる「異化効果」(Verfremdungseffekt) に言及された。「三文オペラ」(Die Dreigroschenoper)の作曲者、ヴァイル (Kurt Weill)のSong についても話され、学生時代にブレヒト研究に励む友人に刺激されて,ブレヒトの「肝っ玉おっ母」(Mutter Courage und ihre Kinder) を観に出かけたことを思い出した。多田羅先生は、「こんにゃく座」(1971年創立)の設立メンバーだとのこと。それでグランド・オペラ歌手がブレヒトを話題にすることへの若干の違和感が解消された。指導者との距離が少し近くなった感がある。

翌日は早速、書棚から岩淵達治の回想記「ブレヒトと戦後演劇 私の60年」(みすず書房刊、2005年)を取り出し、読み始めた。演劇には全く疎い身であるが、岩淵先生の肉声が聞こえてくるようで、無類に面白い。先生はもう80代半ば。数年前、少し元気をなくされたとも聞いているので、どうしているかしら。