2013年11月22日金曜日

「特定秘密保護法案」に反対!


先日、所属する合唱団の練習時に、指導者の先生が今国会に上程されている重要法案「特定秘密保護法案」に反対するよう団員に呼びかけた。

この異例ともいえる行動を、団員たちはどのように受け止めたのか、今ひとつ筆者には図りかねるが、選曲にあたって普段メッセージ性のある曲を選ばれるので、筆者はこの行動を違和感無く受け止めた。それどころか、アカデミーの世界からこのような声が澎湃と上がることが期待されている時だけに、勇気ある発言と評価したい。

一般的に諸芸術の中でも音楽は政治から遠い世界にあると考えられがちである。それだけに今回の指導者の先生の言動に違和感をもった人もいるかもしれない。

言葉を持つ人間はたとえ思想性のない楽音にも、そこに想いやメッセージを読み取ることはごく自然な人間としての営みだ。ましてや社会に生きる一人の人間として、音楽と直接には関係のない事柄について発信したとしても、それもまた当然の行動として容認されるべきである。

さて、当の「特定秘密保護法案」だが、メディアなどでは「国民の知る権利が侵される」として国民の権利侵害をこの法案の弊害として上げる声が強いが、筆者が最も危惧するのは、そのことに関連して、権力に対する監視が弱まることである。

「権力は腐敗する 、専制的権力は徹底的に腐敗する」この格言は19世紀イギリスのアクトン卿の言葉だが、この格言は今の中国をみればよく解る。この専制体制のもとではメディアは共産党宣伝部のコントロール下にあり、権力にとって都合が悪いことは全て伏せられる。今の習政権がいくら腐敗撲滅を目指すと言っても、報道・言論の自由のない体制のもとでは、それがスローガンだけのものに終わることは火を見るより明らかだ。

いかなる権力も、権力執行は衆目の無いところでやりたがるものだ。それは政府のみならず自治体であろうと、会社組織であろうと同様である。

今法案は外交・防衛に関する特定分野だと安倍政権は抗弁するだろう。想定する処罰対象は公務員に限るともいう。しかしこの”特定”分野に限ったとしても、これに関わる民間人は多いだろう。また、権力の暴走を止めたいと考える良心的な公務員に足かせをはめ、萎縮させることになる。「見ざる、言わざる、聞かざる」の臆病な公務員を養うことにつながる。

さらに、いったん出来た法律は一人歩きして、将来、それこそ想定外の広範囲の適用の仕方に道を開く可能性があることは、この法律の持つ大きな危険性だろう。

それにしても、第三者のチェック機関として「首相」を想定するとは、失笑以外の何ものでもない。

2013年11月12日火曜日

「埴生の宿」の精妙なる旋律


日本において世代間の違いの大きなものの一つに、学校で学ぶ音楽教材の違いが挙げられるであろう。以前ドイツ語学習の一助にと、「菩提樹」や「野ばら」などを教材にしたところ、メロディーを知らないものが結構いたことに驚いたことがある。掲題の「埴生の宿」は今の音楽教科書に載っているのだろうか。ネットで教科書掲載曲をざっと調べたところ、どうも見当たらないようだ。

原題”Home, Sweet Home" (「楽しきわが家」)はイギリスのヘンリー・ローリー・ビショップ(Henry Rowley Bishop, 1786-1855)による作曲、アメリカのジョン・ハワード・ペイン(John Howard Payne, 1791-1852)による作詞の曲。俳優でもあり、また劇作家でもあったペインが自作のオペラ『クラリ、ミラノの乙女』の中に組込んだ。以来、この曲は独立した曲として引用、編曲され演奏されてきた。

日本では早くも1889年(明治22年)に里見義訳詞「埴生の宿」として『中等唱歌集』に収められ、2006年には「日本の歌百選」の一つに選ばれている。おそらく50歳代以上の方なら学校でこの歌を歌った経験をお持ちであろう。
日本でもこの曲は映画でも使われ、古くは『二十四の瞳』、『ビルマの竪琴』、1988年公開の映画『火垂るの墓』(スタジオジブリ制作)の挿入歌として、聞くものの涙を誘ってきた。

筆者はこの曲にほろ苦い思い出がある。
ドニゼッティの歌劇『アンナ・ボレーナ』をビデオで見ていたとき、最後の二十分間のアリア・フィナーレで、タイトルロールのアンナ・ネトレプコが歌うアリアの中に「埴生の宿」、否、Home, Sweet Home の旋律が流れてくるではないか。浅はかにもこの時、ビショップさんはドニゼッティさんの曲をパクったと思い込んでしまった。たまたまその頃所属の合唱団で「埴生の宿」を練習していた。よせばいいのに、解った振りをして「この曲はビショップがドニゼッティのオペラの中のアリアをパクった」などと練習時に言ってしまった。
その後気になったので、あらためて調べたところ、オペラ『クラリ、ミラノの乙女』は1823年初演。一方『アンナ・ボレーナ』は1830年の初演。ということで、ドニゼッティが当時すでに親しまれていたビショップさんのこのメロディーを拝借したということになる。馴染みの旋律をオペラの中に流用することはよくあることと知っていたつもりなのに、その時は早合点。

歌劇『アンナ・ボレーナ』、舞台は十六世紀イングランド。アンナ・ボレーナは英語ではアン・ブーリンまたはアン・ボーレン。夫のエンリーコは英語ではヘンリー8世。ミラノでの初演の後、翌年1831年のロンドン公演では名前は英語読みにしたのだろうか。
それはともかく、二番目の妻として略奪結婚したエンリーコはすでに妻アンナには冷淡。アンナの女官ジョヴァンナに横恋慕していて、アンナは邪魔者でしかない。初恋の相手ペルシー卿と不義密通を図ったとの濡れ衣をアンナに着せて処刑の処断。何とも身勝手な暴君である。

ついでながら、アンナとエンリーコの間に生まれたのが、近世初期のイギリスで、政治的にも文化的にも時代を画する治世を行ったエリザベス1世である。メトロポリタン・オペラであったか、ウィーン国立歌劇場での公演であったか忘れたが、刑場につながれたアンナが女の子を抱いて出てくる場面があった。その子が後の偉大な女王になるエリザベス1世という演出であろう。

件のHome, Sweet Home の精妙な変奏旋律が流れるのは、囚われの身となったアンナが精神錯乱の中、アリア「なつかしい故郷の城に」を歌う場面である。
ドニゼッティは『ランメルムーアのルチア』でも”狂乱の場”で有名なアリアを歌わせている。アリアと”狂乱の場”はオペラでは相性の良い場面なのだろう。

筆者は「埴生の宿」を歌う本番のステージで、迂闊にもこの場面を思い浮かべてしまい、声が詰まり、その後歌えなくなったことがある。涙どころか、錯乱していては到底ドニゼッティのこの難曲を歌えないのは言うまでもない。

翻って、Home, Sweet Home にしろ、「埴生の宿」にしろ、これが歌うにふさわしい場面は故郷を離れたところにある。初等、中等学校の子どもたちには、理解が少し困難なのかもしれない。ただ、不幸にも震災と原発事故で家を失った子どもたちには切ない歌と映るのだろうか。

2013年11月4日月曜日

ウイグルについて再び話そう


筆者のウイグルへの関心は、ウイグルからやって来た留学生にボランティアで日本語を教えたことがきっかけだ。それ以前のウイグルに関する知識は乏しく、せいぜい言語がチュルク語系であること、中国政府が抑圧的な政策をとっていること、一年間滞在した知人の話から親日的で美人が多いこと、と言った程度であった。

留学生が語るウイグルの厳しい現実は生々しく、TVや購読している新聞で報道されることとは大違いであった。NHKの『シルクロード』はことのほか留学生には評判が悪かった。ウイグルの現実から目を背け、ロマンあふれる西域に脚色されている、と言うわけである。おそらく当時はTVにしろ,新聞にしろ取材には大きな制約があったのだろう。
北京オリンピック開催の年あたりから日本における中国報道も変わってきたように思う。中国政府にとって不都合なことも徐々に紙面やTV画面に出でるように変わってきた。それにより、留学生が話すウイグルの現実が決して誇張ではないことが裏付けられた。

当初留学生たちは人前でウイグルのことを語ることに慎重であった。臆病と言うべきかもしれない。筆者と二人きりなって初めて重い口をひらくものが多かった。密告を恐れているのである。筆者も留学生たちに害が及ばないよう、言動には気をつけてきた。
ベルリーンの壁崩壊前の東ドイツがそうで、市民たちは人前では決して政治を口にしなかったものだ。
東ドイツではシュタージ(Stasi:Ministerium für Staatssicheit国家保安省)と呼ばれる秘密警察・諜報機関があって、市民を監視していた。正規の職員の他に、市民の中に「協力者」がいて、密告が奨励されていた。専制体制ではどこでもよく見られる光景である。
共産党が国家を主導する中国にも「共産党安全部」という組織があって、東ドイツのシュタージや旧ソ連のKGBとおなじ活動をしているのだろう。

あるウイグル人は日本人の友達と連れだってウイグルに帰省したとき、安全部の職員5,6名に連行され、10時間近く取り調べを受けたという。連れの日本人も4時間ほど拘束され,事情聴取を受けた。筆者から見てそのウイグル人はどう見ても金を稼ぐことに熱心で、日頃の言動から見ても全く非政治的な人物であった。本人は初めての経験だったらしく、「ほんとに怖かった」と述懐していた。

筆者は一度だけウイグルを旅行したが、その時案内してくれたウイグル人の知人は、筆者に「先生、ウイグルでは政治的なことは一切言わないでね。ガイドたちは安全部に全て報告するように求められているから」と念を押された。実際案内してくれたその知人も旅行中安全部から呼び出され、3時間ほど聴取を受けた。この知人も中国政府に反発するよりも、反抗的行動を取る同族のウイグル人や「世界ウイグル会議」の指導者ラビヤ・カーディル女史を「とばっちりを受ける」と言って、表向きかもしれないが、非難する人物であった。

ウイグルの治安維持には、この「安全部」の他、日本の警察にあたる「公安」、戦車など重火器を備える武装警察、さらには「生産建設兵団」と呼ばれる組織もあって、中国政府が大いに宣伝吹聴する“テロリスト集団”「東トルキスタン・イスラム運動」のつけいる隙間など無い。
散発的に起こる「テロ集団の組織的・計画的」なる襲撃事件を見ても、手にする武器はナイフなどの刃物程度。とても爆弾や重火器を調達できる環境にない。今回の天安門車両炎上事件がそうであるように、計画性もなく、組織的にも弱く、絶望を動機とする、自暴自棄的な「犯行」が実態である。

日常的にウイグル人を不安が覆う。身に覚えのない拘束。いつ拘束されるかわからない,拘束されれば拷問が待ち受けるかもしれない、家族とも連絡が付かないまま消されるかもしれない、そういう不安の中で暮らしている。2009年のウルムチ事件の時、デモ隊と公安、武装警察が衝突したとき、たまたま通勤の途上そこに居合わせただけで拘束されたものもいた。拘束されたものの中にはそのまま行方が分からないものが多数いる。
ウルムチ事件後しばらくは3人以上集まると拘束される恐れがある、と警戒された。1997年のグルジャ事件の際もウイグル人の集会が取り締まりの対象になったことがあったので、これが初めてではない。おそらく今回の事件以降、ウイグル人が集まることに中国公安当局は異常な警戒心を示すことで、威圧するのであろう。

あるウイグル人は北京に滞在したとき、部屋を取ろうとしたが、どのホテルでも断られた経験を持つ。明らかにウイグル人だと解っての拒絶だったという。
北京ではいつ頃のことか、「ウイグル人は盗みを働く」というデマが広がった。今回の車炎上事件に際しても、「ウイグル人は教育が無く、素行が悪く、言葉も出来ない」などという差別的な市民の声があった。留学生に聞いても、ウイグルでは窃盗事件が多発しているようには見えない。むしろ、ムスリムとして信仰心が篤いので、神を裏切る行動にはブレーキがかかるといってよい。
「ウイグル人は盗みを働く」というデマにはある背景があった。漢族によって誘拐されたり、騙されて北京に連れてこられたウイグル人の子どもたちが盗みを強要され、成長してからも生きる術なく盗みを働いたものが多数いたという。これはある漢族の研究者による調査報告によるものである。
「人さらい」は過去の話のように思う人が多いだろうが、2,3年ほど前にも中国で子どもが多数さらわれ、煉瓦作りの奴隷労働を強いられていたことがニュースになった。

ウイグル人に対する差別は日常的である。ウイグル自治区に進出した漢族企業は人員を採用するにあたって、漢族を雇用する。言語を理由に挙げるが、今日のウイグルの大学ではすべて中国語で教育が行われるので、大学卒なら中国語が出来るのでそれは理由にならない。運良く職を得られても、周りは漢族ばかり。あるウイグルの女性はあるとき、漢族上司から「特別なサービス」を求められ、それがいやでその職を離れたと言う。

近年ウルムチの新疆大学でウイグル人多数採用の話があり、色めき立ったが、募集は「公安(警察)」であった、という笑えない話がある。ウイグル族の取り締まりにウイグル人を当てるというわけである。
一時期に較べ、近年は大卒者の就職も若干好転していると聞くが、今後どうなるか。ウイグル人の起業が差別的な制約から少なく、また規模も小さいので、ウイグル族の不満は雇用問題に起因する面も大きい。休日でもないのに、日中何するわけでもなく街にたむろする大勢のウイグル族の若者たちが今も目に焼き付いている。

ウルムチは今はすっかり漢族の街になったと言っても過言ではない。ウイグル文化が濃厚であったカシュガルで、中心街の古い建物が次々に取り壊され、観光目的としか言いようのない建物が漢族資本によって建てられ、ウイグル人の憤懣を買っている。緑豊かなウイグル自治区北西地域ばかりでなく、パキスタンなどとの国境に近い南西地区にも漢族は進出しているのである。

旅行中、黒いベールで顔から体全体覆った女性が、カシュガルの街をバイクで疾駆する姿が目撃された。今はどうか。
イスラム教に限らず宗教を否定する共産党政権は、モスクに中国国旗を掲揚することを強制し、(アッラーよりまず中国共産党政権に敬意を示せ、という訳か)18才以下のモスク入りを禁じ、宗教指導者は共産党政権の息のかかった人物にすることを求め、ウイグル人たちの反感を買うことに精を出している。

習近平政権は、ウイグルに対して懐柔政策をとるのではないかとの淡い期待に反して、ウイグルに対する敵視政策を一段と推し進めているように見える。それだけ政権に余裕がないのだろう。
政権基盤が弱いだけでなく、中国経済が一頃の勢いが無くなり、300兆円にも上ると言われるシャドーバンクの負債爆弾が今後中国経済を奈落に落としかねない不安があるからでもある。
今国内を引き締めるのに異常と思えるほど毛沢東を引き合いに出していることからも、自信のなさが伺える。
この姿勢は日本にとっても人ごとではない。習政権は対外的にも今後一層強い姿勢を取らざる得ないからである。

中国政府がウイグル問題を根本的に解決し、安定的に自治区を統治するには、200万人漢族からなる「生産建設兵団」をはじめ、域内に住む漢族を内地に引き上げ、自治区のものは自治区に返し、自治区おける核兵器実験を完全に停止し、実験による被害者を救済し、ウイグル侵略を止めることだ。

もしこれが現実的な解決策でないとすれば、せめて、ウイグル敵視政策を即時廃止し、これ以上の漢族移民を停止し、企業や公的機関において少数民族の雇用を一定以上義務づけること、中国の憲法に謳っているとおり、教育において少数民族の言語と文化を守ること、宗教活動に政府が介入することを禁じること、これらのことは今日普遍的な政治原理になっていることばかりである。

これすら出来ないような国家は、われわれから見て全く異質な国と言わざるを得ない。