2013年1月28日月曜日

合唱団と指導者・指揮者の関係

  大方の合唱団は指導者・指揮者と良好な関係を保ち、楽しく合唱練習に励んでおられるであろう。しかし、一部には指導者との間に軋轢が生じたり、あるいは様々な不満を抱え、鬱屈したまま次第に団員の足が遠のくような合唱団もあるかもしれない。そこまで重症でなくとも、選曲や練習方法のマンネリ化から活動が停滞している合唱団もあるかもしれない。
 筆者が所属する合唱団で最近指揮者の交替があった。団員の一部には指揮者への不満があったようだが、おおかたは指揮者に同情的であったし、積極的に支持する声もあった。にもかかわらず苦渋の選択として指揮者の交替に踏み切りざるを得なかったのは、筆者の理解するところでは、つまるところ10年近く勤めた指揮者への「飽き」であったように思われる。理由は様々であろうが、次第に足が遠のく人も目立ってきていた。新しいメンバーが加わればいい刺激となり、組織も活性化するのだが、それもなく、むしろ比較的最近加わった人が離れていったこともこたえた。新しいメンバーが加わらないのだから、当然のことながら合唱団構成メンバーの平均年齢が上がる一方で、合唱レベルは現状維持が精一杯、むしろ後退すら見られるようになって来ていた。合唱団のじり貧どころか5年先、10年先の存続も危ぶまれた。特に創立以来のメンバーは事態を深刻に受け止め、町唯一のこの混声合唱団の灯火をなんとか守りたいと考えた。出した結論は団をいったん解散して、団の名称や指揮者、練習日を変え、新規に団員を募り、再出発することだった。前指揮者も理解を示し、足が遠のいていた団員も戻り、新たに数名が加わり、新しい指揮者のもと再スタートしたが、今のところは上々の滑り出しである。
 これら一連のプロセスに立ち会い、一団員として考えたことは、同好会的合唱団にも指導者・指揮者との間に「契約」と「評価」が必要だということである。これらは指揮者に対して厳しい態度をとると映るかもしれないが、契約を結ぶに当たって合唱団として目的や自己コンセプトを明確にする必要があるし、そのためには団としての自己評価が前提となる。大学においては学生による授業評価・アンケートが制度化されてすでに20年あまりになるが、学生に対して自己評価も合わせて求めているのが一般的である。
 評価は契約更新のためにも必要であろうが、指導・練習の改善に役立てるのが本来の目的で、一方的に指導者を評定するものではない。評価は双方的であるべきだし、また必ず自己評価を含むものであるべきだ。通常こうしたたぐいの評価は団員によるアンケートによることになるであろうが、決して指導者への不満のはけ口となってはならない。そのためには評価方法、評価項目の設定が重要となる。日本合唱連盟あたりにひな形を作ってもらえればと思う。もしかすると、筆者だけが知らず、すでにあるのかもしれないし、一部では行われているのかもしれない。
 もちろん全ての合唱団においてこれらが必要であるとはいわない。優れた指導者なら自省的で、団員の反応から指導練習を手直しするであろう。しかし程度の差こそあれ、わが合唱団が抱えた問題を共有する合唱団は少なくないのでは無かろうか。いまは蜜月関係にあっても、時間を経るとともに倦怠期を経て破綻を迎えることになるかもしれない。
 契約の更新と相まって、評価は適度の緊張と刺激を持たらすものでもある。練習が惰性に流れないようにするためにも、制度として「契約」と「評価」を取り入れたいものだ。

2013年1月6日日曜日

暮れのウィーン旅行 

 久しぶりでウィーンに出かけた。孫娘の「ウィーンのクリスマス市を見てみたい」の一言に大人たちが反応し、家族親戚総勢8名のウィーン滞在旅行と相成った。今は便利になったもので、飛行機便やホテルの予約から各種チケットの手配まで、全てインターネットで出来る。電話一つかける必要もない。
 ほぼ十年ぶりのウィーン。すっかり勝手が違うだろうと覚悟して出かけたが、当然のことながら、町の様子は変わらない部分が多く、変化に弱い高齢者は安心した。それでも観光客の多さ、特に、アジア系の人の多さには目を見張った。ほぼ四半世紀前に長期滞在した時にはアジア系はほとんど日本人だけであった。アジアの経済発展ぶりがこんな面にも表れている。
 あちらでは店の営業時間は「閉店法」という法律で規制されているのであるが、以前は土曜日は休日またはせいぜい12時か12時半までの営業、日曜日はもちろん閉店、クリスマスイヴ、クリスマス、大晦日も休業であったものが、今ではイヴや大晦日でも2時、3時まで営業するようになっている。昔ウィーン出身の知人が、欧米社会で最も労働時間が少ない国はオーストリアだ、と自慢げにいっていたのを懐かしく思い出される。
 全く変わらないものの一つに、市内を縦横に走る便利な交通機関の車内放送がある。停留所、停車駅の案内、乗り換え、さらには社会的弱者に席を譲るよう求めるアナウンス。アナウンスの声まで変わらないのだ。
 一枚の切符でバス、地下鉄、市街電車、近郊電車を利用できる便利さは相変わらずだ。到着したのが23日(日)の夕方だったので、月曜から1週間有効となるWochenkarte  (1週間乗車券)€15(約¥1650)を購入。遠出しない限り、これでまるまる1週間乗り放題だ。
 滞在したホテルはウィーン19区にあって、Livinghotelとうたったホテル。部屋にキッチンが付いていて少し長い滞在には助かる。ホテルの両隣が、"Spar"と"Billa"、ウィーンではどこでも見かけるスーパーだ。 ウィーン料理に飽きるとスーパーでおかずを買い、日本から持参した米を炊いて自炊するのも楽しい。
 ウィーン19区というと、いわばウィーンの山の手。実際都心や他の区から見ると少し標高も高く、13区、18区と並んでウィーンの富裕層が大勢住む閑静な住宅街。ホイリゲで名高いグリンツィングGrinzingもこの区にある。38番トラム終点から38Aのバスに乗り継ぎ、いわゆるウィーンの森を成す山の一つ、カーレンベルクには簡単にいける。昔「ウィーン何でも十傑」という週刊誌の記事で、「ウィーン人が最も住みたい街ベストテン」にこの19区からベストワンを始めいくつも選ばれていた。
 ホテルは都心まで市街電車で20分ほど。地図で見ると不便そうに見えるが、バスで10分足らずで地下鉄U4の起点ハイリゲンシュタットHeiligenstadtに。ハイリゲンシュタットは引っ越し魔でもあったベートーヴェン縁の街である。地下鉄U4を利用すれば、都心のどこでも簡単にアクセスできる。
 寒い季節に出かけたので、屋外の行動はあきらめ、オペラやコンサートのチケットを手配しておいた。孫たちが退屈しないように、子供でも楽しめるプログラムを考慮して、フォルクスオーパーの「ヘンゼルとグレーテル」と国立歌劇場のバレー「くるみ割り人形」、楽友協会ブラームスホールでは、日本でも馴染みの「ウィーン・リング・アンサンブル」のジルベスター・コンサートで一足早いミニ ニューイヤー・コンサート、さらには「フィガロの結婚」を鑑賞。さすがに孫たちは話の込み入った「フィガロ」は眠かったらしい。我が家で人気のウィーンフィルコンサートマスター ライナー・キュッヒルさんが、「くるみ割り」でもコンサートマスターを務め、リング・アンサンブルではヴァイオリンの他、大太鼓をも担当で孫も大喜び。キュッヒルさんはおそらく世界で最も忙しいコンサートマスターではなかろうか。リング・アンサンブルのコンサートがあった30日は昼間の11時からウィーンフィルのニューイヤーコンサートの期日前公演でコンサートマスターを務めている。現在62才の彼は21才でウィーンフィルの第2コンサートマスターに就任。ヘッツル氏が山で遭難死してからは第1コンサートマスターに。1昨年には日本政府から叙勲も受けている。
 帰国前日の日曜日には、街のシンボル聖シュテファン大寺院St.Stephansdomの日曜ミサに参列。といっても非キリスト教徒なので、後列でそっと見守るというのが実態。このような宗教行事もウィーンの月間プログラムに掲載されているので、ミサにおける音楽を鑑賞する目的で参列できる。
 肝心のウィーンのクリスマス市の方だが、到着が23日夕方であったので、翌24日のイヴに市庁舎前広場の市と26日にシェンーブルン宮殿の市に出かけた。豊富なものに囲まれて育った若い世代にはクリスマス市もさほど興奮を呼ぶものではなさそうで、Glühwein(赤ワインに甘味とシナモンを加えて温めた甘酒)を飲んで早々と退散。この度は暖冬で、カーレンベルクにも全く雪が無く、暖冬で、東京よりも暖かいほど。この季節には珍しく、後半は快晴に恵まれ、皆満足して元旦に帰国。