2014年11月18日火曜日

薪割り または 鍛冶屋の合唱


薪ストーブのぬくもりがほしい季節になってきた。
昨シーズンと言っても煙突設置工事が遅れ、シーズンの終わり近く、今年の3月上旬になって、やっと待望の火入れとなった次第は先のブログで書いたとおり。(「老後の火遊び」2014年3月22日)

この間、2年分の薪ストックのため、薪置き場を作ったり、いただいた玉切りした丸太を割ったり、来シーズン用の薪を購入したりと、リモコンで暖をとれる生活から一変した。
このブログを書き始めるまえにも、2,3日分の薪を小割りする一仕事を終えたところ。寒さが増すにつれ、ちょっとした時間を割いて、薪や焚きつけの用意をする日々となってきた。

薪ストーブ生活には思わぬ副産物がある。薪を割ったり、運んだりすることで自然と腕の筋力も増し、腹筋をはじめ、下半身も鍛えられる。合唱生活を送られる方ならご承知の通り、発声にとって、下半身の支えがいかに大切かは言うに及ばない。こころなしか、以前より安定して発声が出来るようになった。

合唱仲間であり、かつ”薪友”でもあるK氏は外国製の高価な薪割り機を持つが、70も超えると、ものを増やすことを躊躇するので、面倒でも斧と楔で薪を割る。楔とハンマーによる薪割りは、比較的安全で、予想以上の威力であった。なにぶん金をかけずに済む。スポーツジムに通うのが苦手な筆者には手頃な運動にもなる。

ハンマーで楔をたたきながら、今練習中の「鍛冶屋の合唱」(Anvil Chorus)を口ずさむ。イタリア語ではCoro di zingari、”ジプシーの合唱”。
このオペラのことを知らなくとも、この合唱曲は聞き覚えのある方も多いだろう。
この曲はヴェルディの歌劇『イル・トロヴァトーレ』の第2幕第1場で歌われるが、スペインのロマ(ジプシー)たちが、「仕事だ!仕事だ!ハンマーをよこせ」に続けて、威勢良くハンマーを振り下ろしながら「誰がジプシーの暮らしに喜びをくれる?それはジプシー女さ!」と歌う。

この場面、母性愛と復讐心の相反する情念に突き動かされるジプシー女アズチェーナが合唱を引き取り、カンツォーネ「炎が激しく音を立てる!」を歌う。その中で、自分の母親が冤罪で火刑に処せられ、その復讐をはたすために、侯爵の息子をその残り火に投げ込もうともくろむが、誤って自分自身の赤子を投げ込んでしまった、と“息子”マンリーコに打ち明ける。この恐ろしい復讐はオペラの大団円で果たされることになる。

さて、本番の演奏では金床とハンマーを使うのだろうか。客には大いにうけると思うのだが。
                                                                                  2014/11/18







2014年11月10日月曜日

アーメン;ハレルヤ;アヴェ


練習の折、某氏から「アーメン」はユダヤ教でも言うのでしょうか、問われた。ユダヤ教どころか、キリスト教についても知識は薄く、もとより答える立場ではないのは先刻承知の上で、先方もそれほど期待を持って問おうとしているわけでもなさそうなので、さあどうでしょう、言わないのじゃないですか、と軽い気持ちで答えてしまった。練習後帰りの車の中で、この問いを反芻していると、アーメンがヘブライ語起源であることを思い出し、しまった!なんとも迂闊な返事をしたものだと、大いに反省。
家に帰り、あらためてOxfordのJewish Religion DictionaryのAmenの項 にあたってみると、旧約聖書には14度出てくるとある。さらに、かなり前に、必要が有って旧約聖書を部分的に少し勉強した時のノートを開いてみると、アーメンについてのメモも見つかった。年のせいか、すっかり忘れっぽくなっている自分をここでも見いだした次第。

ヘブライ語由来のこの語の語根は「まことに、確かに」という意味。
祭儀において唱和された模様が旧約聖書ネヘミア記8:6にある。
「・・・そこで学者エズラは、民全員の注目を浴びながら書物をひもといた。彼は民全員より一段高いところにいた。彼はこれをひもとくと、民全員が起立した。エズラが大いなる神ヤハウェを誉め讃える、民全員は手を高く上げて、『アーメン、アーメン』と唱和し、ひれ伏して顔を地面につけ、ヤハウェを拝した。・・・レビ人たちが民に律法を説明した。民はその場にいた。かれらは神の律法の書をはっきりと朗読し、解説を加え、朗読箇所の意味を理解させた」

また申命記27:9-26には
「モーセはレビ人たる祭司たちと共に、全イスラエルに告げて言った。『イスラエルよ。静かにして聞け。今日あなたはあなたの神ヤハウェの民となった。・・・あなたはあなたの神ヤハウェの声に聞き従い、今日私があなたに命じるヤハウェの戒めと掟を行わなければならない。・・・すべての民は答えて『アーメン』と言わなければならない。・・・」とある。
こうしてみると、アーメンと唱えることは祭儀・礼拝に参加するものたちが祭司や聖職者が伝える神の言葉・意志への誓約・確認・同意をあらわす意義を持つと考えられる。
先のユダヤ教辞典も”So be it"(そうあるべし)という英語を当てていて、シナゴーグ(ユダヤ教の集会所・教会)での礼拝でも祝祷への応答として、局面局面で差し挟まれて唱えられる、と説明している。

念のため、手元のイスラーム辞典(岩波書店刊)を調べてみると、やはりこの項目がある。イスラム教においても、“しかり、かくあるべし”の意味で、同意の応答を示す表現として礼拝時に唱えられる。この言葉は主にクルアーン(コーラン)第1章クアーティッハ(開扉)章をイマーム(宗教指導者、礼拝の導者)が読誦した後に、全員が同時にアーミーンと唱え、内容への同意を表明する。

旧約聖書について、一言。
この聖書は言うまでもなくキリスト教の聖典であるが、その大部分はユダヤ教の聖典でもある。『旧約』(「古い契約」)という言い方はキリスト教から見た時の表現で、ユダヤ教では単に聖書と呼んだり、タナハなどと呼ぶ。研究者などは中立的なヘブライ語聖書などと言う。

合唱をやっていると宗教曲を歌う機会も多いが、”アーメン”の他にもヘンデルの有名な『メサイア』のハレルヤ・コーラスで連呼される”ハレルヤ”も、案外語の由来を知らぬまま歌う人も多いのではないか。ちなみに、この語もヘブライ語由来で、「ヤハ(=ヤハウェ神のこと)を誉め讃えよ」の意味。神礼拝の場で讃美の頌栄句として使われる。数々の名曲が作られてきた『詩編』の始まりや終わり、またはその双方に付加されている。

アヴェ・ヴェルム・コルプスやアヴェ・マリアのアヴェAveはラテン語で、単独では「やあ、ようこそ」くらいの意味。通常「めでたし」「おめでとう」などと訳されている。後者は『ルカ伝』1:26、いわゆる受胎告知において、天使ガブリエルがマリヤに呼びかける言葉である。「御使いのガブリエルが・・・家に入ると乙女マリアに対して言った。『こんにちは、恵まれた人、主があなたと共に』」

ヨーロッパ中世音楽、キリスト教音楽を専門とされる金澤正剛によれば、「アヴェ」は呼びかけの挨拶だが、「こんにちは」では訳し足りず、呼びかけの中に“祝福”の気持ちも込められている、という。(金澤正剛『キリスト教と音楽』P.178) 
なお、プロテスタントではカトリックにおけるようなマリア信仰はないので、プロテスタントの礼拝では『アヴェ・マリア』は歌うことはないそうである。

声楽曲は楽音に言葉が伴うだけに、日本語の声楽曲に限らず、外国語であっても、常に意味を意識して歌いたいものだ。

2014年7月3日木曜日

立憲主義の終焉


平成26年7月3日は憲政史上、立憲主義をないがしろにする重要な決定がなされた日として記憶されるだろう。

憲法を遵守する義務を負う行政のトップが、憲法の文言の中から自己に都合のいい部分だけを取り出し、「解釈の変更」と強弁して、この憲法の平和主義を足蹴りにした。平和な日本の70年に及ぶ戦後の歩みを侮蔑するかのように、「戦争放棄」の看板を投げ捨てた。

憲法は、日本のあり方を国民だけでなく、国際社会にも示すものだ。憲法が明示的に示す日本の形と、実際の日本の行動との齟齬を世界はどのように理解すればいいのか、戸惑うだろう。言葉の持つ重み、論理を重視する欧米の人々の眼には、ますます日本は理解しにくい国だと映るだろう。

この度の「集団的自衛権行使容認」は、前ブログにも書いたとおり、台頭する中国の軍事的脅威に対処するため、明らかに日米軍事同盟をより一層強固なものにすることを目指したものだ。
弱体化しつつある「世界の警察官」アメリカを支えるため、「集団的自衛権行使」だけでは足りなく、「集団的安全保障」を根拠に派兵できるようにしたいことが透けて見える。まさに「紛争の解決の手段」(憲法条文)として、軍事力を行使する、と言うわけである。
しかし、ベトナム戦争以来、軍事力で紛争の解決を図ろうとし、「テロとの戦い」で泥沼に陥っているアメリカの姿は、反面教師として十分だろう。

そのアメリカだが、いみじくも当時のブッシュ(ジュニア)大統領が言ったように、敵・味方を峻別して、問答無用、アメリカ側につくように求める。これまで、日本は「日本国憲法」を盾にアメリカへの加担は限定的であった。今後は、アメリカの要求に強く「ノー!」と言えるのか、はなはだ疑わしい。

それほど親米的とは見えない安倍首相は、自衛隊を海外に派兵することが出来るようにすることで、アメリカと対等な関係を築ける、とおそらく考えているのだろう。これは外務当局にとっても、日米軍事同盟の強化と並んで、外交交渉上悲願として歴代受け継がれてきた事だとみてよい。

「集団的自衛権行使容認」、「集団的安全保障」への参加は戦後の日本のあり方を大きく変えることだ。これにより、アメリカの戦争に加担することを強いられ、中東や発展途上国に見られるアメリへの憎悪が、今後、日本にも向けられることを覚悟しなければならない。

前ブログにも書いたとおり、日米軍事同盟の強化は戦争抑止として働くより、一層の軍拡競争を招き、東アジアの緊張を高める。それによって失う経済的損失の大きさは計り知れない。
この度の閣議決定が、中国はもとより、同盟国であるはずの韓国からも警戒の眼で見られていることにもっと目を向けるべきである。

今後は、舞台を国会の場に移して論議されるだろうが、国会の情勢を見ると、民意から大きく離れて、「行使容認」派が大多数を占めているので、国の形の大きな変更はもはや決定的なのかもしれない。本来、国会解散して民意を問うべきものなのだが。

                                                                  2014-7-3 記

2014年6月17日火曜日

集団的自衛権行使容認反対!


退職後、合唱を楽しむことを覚え、お陰で引きこもり老人にならずに済んでいる。とはいえ、日本の将来を考えると、歌い惚けてばかりいるわけにも行かない。
言うまでもなく、安倍政権が進める「安全保障政策」が、日本の将来を安泰にするどころか、危険にさらしかねない事を危惧するからである。

安倍政権は、「秘密保護法」、「日本版NSC(国家安全保障会議)の創設」につづいて、「集団的自衛権行使」容認のための憲法解釈の変更を、一内閣の閣議決定で決めようとしている。まことに乱暴なやり方だ。周辺国から見れば、日本は戦争する体制作りに邁進していると映るだろう。

「集団的自衛権」とはわかりにくい概念だ。自国が攻撃されていないのに「自衛権」とは奇妙な言い方だが、同盟国と目される国が攻撃された場合に共同で防衛にあたる権利、ということだろう。
日本国憲法では「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」とうたい、明確にこれの行使を否定している。これが日本の形だ。
安倍政権はこの日本の形を180度変えようとしている。「解釈変更」というのは全くのまやかしであり、実態は「憲法無視」だ。

ブッシュ(父)大統領のイラク戦争(湾岸戦争)時、日本はお金を出すだけで、「人的貢献」をしないとたたかれた。それゆえ、子ブッシュのイラク戦争時には、なんとか「復興支援」の名の下に自衛隊をサマワに派遣した。幸い人的被害がなかったのは記憶に新しい。
外交当局や自民党政権にとって、この時の経験から「集団的自衛権の行使容認」は日米関係上是が非でも実現しなければならない、と考えたのだろう。
緊張が高まりつつある東シナ海の状況を考えると、「日米安全保障条約」があるとはいえ、アメリカとの同盟関係をより強固なものにするためには、アメリカが関与する国際紛争に日本もアメリカに加担しなければならないと考えてのことだろう。日米安保は憲法の制約のため、相互防衛より日本庇護の性格のものだからだ。
端的に言って、この度の「集団的自衛権」問題はアメリカとの軍事同盟強化としてみるとわかりやすい。脅威を増す中国に対する抑止力としてアメリとの軍事同盟をより強固なものにしておきたい、との思惑だろう。

戦後70年になんなんとする今、日中関係は戦後最悪といえる。悪化した国同士の関係ではどちらかが一方的に悪い、と言うことはまずない。双方に関係を悪くする要因が存在し、それをまた外交カードとして利用しようとするからこじれるばかりだ。特に、内政において多大な困難を抱える中国の場合、ナショナリズムを刺激し、意図的に外国と緊張を高めることもあるだろう。また、巨大な利益集団でもある中国軍部は、政権内部の権力闘争と相まって、政権を揺さぶる意図を働かせるかもしれない。
尖閣諸島の領有権問題は、まさに共産党一党独裁の中国政府にとって、また中国軍部にとってまたとない外交カードと映ったかもしれない。加えて、日本の保守政治家は歴史認識問題や靖国参拝で外交カードを見返りなしで提供してくれる。
いったん悪くなった外交関係はスパイラル的に悪化しかねない。最悪は戦争に行きつくことだ。

領土問題はナショナリズムを刺激しやすく、下手をすると戦争を引き起こしかねない。海底資源も期待するほどのものでなく、人も住まぬ単なる岩礁に過ぎない尖閣諸島を巡って、戦争に至るとは双方にとって愚かな話だ。

為政者はよく「国民の生命と財産を守る」という。本気でそう考えるのならば戦争につながる芽を未然に摘むことだ。そして、日本は太平洋戦争で戦った国や東アジアの国とはいかなる場合であっても戦争を行ってはならない、と強く思いを定めるべきだ。もし戦争に至ったなら、またもや未曾有の戦争災害が双方の国民を襲うからだ。ベトナム戦争以降のアメリカの数々の戦争を見ても、勝者はなく、双方が深く傷つき、戦争終結がいかに難しいか、容易に見て取れる。

安倍政権はこの度の集団的自衛権行使容認は戦争抑止のため、と抗弁するだろう。しかし、中国のような大国には、緊張を高めこそすれ、抑止力としては働かない。最も効果的な戦争抑止は様々な面で両国関係を強めることだ。

冷戦期に較べ、経済の面でのつながり、人的交流が飛躍的に大きくなった日中関係が悪化することは双方の国民にとっても、周辺国にとっても百害あって一利もない。

繰り返し言おう。集団的自衛権行使容認は、アメリカとの軍事同盟強化のためとはいえ、周辺国との戦争抑止には働かない。むしろ緊張を高めるマイナス要因となる。さらに、アメリカの戦争に加担し、人の命を奪い、また奪われることにつながる。

甥の娘が最近大学を卒業し、海上自衛隊に入ったこともあり、この問題にますます無関心ではいられない。

憲法でうたい、戦後70年営々と築いてきた日本の形を変えるべきではない。このように考えることこそ、日本の保守の思想である。


2014年3月22日土曜日

老後の火遊び


”火遊び”と言っても、比喩ではなく、文字通り火を燃やし、揺らぐ炎を見ながら、心身ともに暖まる一時を過ごすのである。
かなり前から家人が薪ストーブを付けたがっていたが、北海道出の筆者にとって薪ストーブは郷愁を誘うロマンチックな趣に魅せられると同時に、その扱いの面倒さをよく知るので、冬が過ぎるのを待ちわびつつ、その声をやり過ごしてきた。しかし、退職後の時間的ゆとりが薪ストーブの面倒さに打ち勝てそうに思えたので、家人の希望を叶えることにした。

燃焼効率を考えると、煙突は直筒屋根出しがいいのだが、既設住宅に設置するので、工事が面倒だし、雨漏りも心配なので、壁出し。
めがね石工事は大工さんに頼んだが、煙突は自分で付けたところ、孫娘が、「おじいちゃん、煙突曲げっているよ」という。屋根に上り、および腰、へっぴり腰で付けたせいか。
それでも早速火入れ。ホームセンターで買った一束8㎏¥630也のクヌギが勢いよく燃え、気持ち共々温めてくれる。

家人は庭木の剪定や古木の始末にストーブを役立てよう、それどころか燃料はそれでまかなえるのではないか、そんな甘い見通しをもっていた節があるが、薪置き場から薪を家に取り込むことが子どもの頃の日課だった筆者は、寝ても覚めても薪の調達をどうするかで、しばらくは頭がいっぱい。
真冬の寒い日だと、2~3束20㎏以上燃やすことになる。年金生活者にとって、かなり痛い出費だ。

薪ストーブのある暮らしを喧伝する雑誌などでは、薪の調達について、ずいぶん楽観的なことが書いてある。やれ、工務店から廃材をもらう、造園業者と仲良くする、森林組合から間伐材をただ同然で入手する、あるいは原木を買い、自分で玉切り、中割りする、と言った具合である。
ちょっと考えれば解ることだが、建築に伴う廃材は薪としてはあまりむかない杉や檜、合板、集成材の切れ端などである。庭木にしても、薪にむくものがどれほどあるか。間伐材も杉や檜がほとんどであろう。
原木を購入する場合も同様だが、運搬手段、玉切り、薪割り全てを自分でまかなう覚悟がいる。そのためには、軽トラック、チェーンソー、薪割り機が必要になる。加えて、力仕事を伴うので、体力も必要だ。高齢者にはこれは生やさしことではない。
持続可能なストーブ生活を送るには、やはり出来合いの薪を出来るだけ安く手に入れるほか無いのだ。

上の孫が、煙突を眺めながら、「この円い筒はどこから来ているの?」とあきれたことを言う。屋根の上に突き出た煙突ではなく、部屋のストーブから伸びる煙突をさして言うのだ。
考えてみれば、生活の中で煙突はもう馴染みのものではなくなった。それどころか、火そのものが台所にでも立たない限り、身近でなくなりつつある。
人類が火を見いだし、発火を工夫し、生活に役立て、火を生活の中心に置いた。採暖、調理、採光、いずれもが火によって営まれてきた。
今は、暖房はエアコン、炎の見えない石油ストーブ、台所仕事も電磁調理器に至っては火が全く見えない。火を必要としながら、一方で、破壊的な性格を持つ火を出来るだけ遠ざけるようにしてきたのである。

小学唱歌「たき火」は「日本の歌百選」にも選ばれ、中高年の世代なら誰もが歌ったことがある歌だろうが、秋の風物詩を彩る落ち葉焚きも、近隣や消防署からそれこそ煙たがれる。「たき火」は今では遠い昔の世界に見える。

ストーブの火を見ていると、郷愁を覚えると同時に、わずかながら野生の感覚がよみがえる。年寄りの冷や水などと家人に揶揄されながら、チェーンソーで倒木を玉切りして、薪割りのまねごとを試してみた。翌日体の節々が痛んだことは言うまでもない。


2014年2月15日土曜日

「かれら」か、それとも「われら」か?    ー 「祈りの歌」続き


 先に、ブルッフの「祈りの歌」を話題にした。原題はMedia Vita - Die Schlachtgesang der Mönche 。今回はその日本語歌詞を取り上げる。

 所属する合唱団で、歌詞の理解を巡って疑問が出てきた。先に触れたように、日本語による「祈りの歌」は、原曲のドイツ語歌詞の訳詞ではなく、安田二郎(=福永陽一郎)によって作詞されたものである。

 疑問点は、ライヒェナウの修道士が歌う歌詞の中の「かれら」が、誰を指示しているのか、を巡ってである。その前段のザンクト・ガレンの修道士の歌では「われらと」一人称で歌う。それを引き継ぐライヒェナウの修道士の歌では唐突にも「かれら」と三人称の指示語に変わっている。歌詞の連続性を考えれば「かれら」は先のザンクト・ガレンの修道士を指示していると受け止めるほかない。しかし後段ではザンクト・ガレン、ライヒェナウ両修道士たちは声をそろえて「われら」と歌うのである。
 ところが、ライヒェナウの修道士が歌う部分の「かれら」を「われら」にすればすっきりとつながるし、全体の構成ともマッチする。わずか一字の違いである。
 誤植で「わ」が「か」になったことも考えられるので、念のため、合唱仲間から送られた録音、福永陽一郎指揮による早稲田グリーと慶応ワグネルの合同演奏を何度も聞いてみたが、その部分は「かれら」と歌っている。

 ところで、先のブログでは、原曲の楽譜がないので、シェッフェルの原詩の訳文を掲げておいたが、その後ネット上のサンプル楽譜(全体の60%)をもとに、欠けている歌詞を原詩で補って,原曲の楽譜を復元してみた。多分90%以上の確立で復元できたと思う。原曲楽譜が入手できればこんな手間をかけずに済むのだが、暇に任せてやってみた。やってみて、原詩はそのままはまることが解った。先に報告した原曲楽譜のRichter(裁き手)→  Rächer(報復者)を除いてはシェッフェルの原詩通りになる。
 
 余談だが、この変更は作曲上の理由からと思われる、と先に書いたが、もしかすると、作曲者のブルッフが手にした版ではRächerとなっていて、後に小説の著者シェッフェルが改訂版を出すときに、Richter に変えたのかもしない。意味的にはRichterの方がすっきりする。ベートーヴェンの「第九」合唱でも、男声合唱の部分で、Laufet …とあるが、現在われわれが入手するシラーの詩では、Wandert…となっている。これはシラー自身が後に変えたことに依る異同である。

 本題に戻るが、作詞とはいえ、原曲の歌詞をもとにしているはずなので、原曲にあたってみると、原曲歌詞では全体が一人称「われら」で統一されている。件のライヒェナウの修道士が歌う箇所の三人称「かれら」は「われらの父祖たち」を指している。一人称「われら」で歌っているのである。(参照:前ブログの原詩訳文)

 「グリークラブアルバム1」(カワイ出版)所収のこの楽譜でも、冒頭バスパートにザンクトガレン修道士、テノールパートにライヒェナウ修道士の注意書きを添えている。この事から作詞者安田二郎(=福永)はこの曲の構成を原曲に沿って歌うよう求めていると考えられる。
 英語表記していることから、氏がもとにした楽譜は英語版と推測される。すると歌詞は英語に依ったと考えられる。原曲、テノールパートの「かれら」は「われらの父祖たち」を指していて、これは取り違えることがないはずだが、もしかするともとになった英語の訳詞に問題があったのかもしれない。

 作詞なので、原詩から離れて自由に作詞したのだ、と考えることはもちろん可能だが、では何故に楽譜に原曲に従って、それぞれ「ザンクト・ガレンの修道士」、「ライヒェナウの修道士」と、この曲の構成上重要な但し書きを書き入れたのか説明が付かない。作詞の構成も原曲に沿って作られていることは明らかだ。それなら、たとえ作詞であっても、全体の構成を左右するわずか一字の違いも見過ごすわけにはいかない。

2014年2月10日月曜日

男声合唱曲「祈りの歌」


 所属する合唱団で、ブルッフ(Max Bruch 1838-1920)の「祈りの歌」の練習に入った。「グリークラブアルバム1」(カワイ出版)所収の男声合唱曲である。

 ブルッフはドイツのケルン生まれ。ヴァイオリン協奏曲で名前が知られているが、合唱曲も多数作曲している。
「グリークラブアルバム1」では、題名がMedia Vita 「祈りの歌」とあるが、原題は Media Vita   Schlachtgesang der Mönche (戦いに臨む修道士たちの歌)となっている。
ラテン語 ”Media Vita” は人生の半ば、くらいの意味であろうが、自信はない。全く違っているかもしれない。

 さて、作詞者は安田二郎とある。この名はグリークラブアルバムの編者のひとり、著名な合唱指導者 福永陽一郎のペンネームで、「オーラ・リー」などの訳詞も手がけていて、作詞者、訳詞者としてはこのペンネームを使うようだ。

 ところで、原曲の歌詞だが、ネットにある原曲楽譜のサンプルを見ると、ヨーゼフ・ヴィクトァ・フォン・シェッフェル Joseph Victor von Scheffel(1826-1886)の名があげられている。シェッフェルは以前は結構読まれた作家だが、今は二三の作品を除いてはあまり読まれないと思われる。1855年に発表された小説『エッケハルト』Ekkehard10世紀スイスのザンクトガレンの修道士の名)に出てくる詩をもとにブルッフは作曲したのだろう。

 ネットで探したところ、原詩が見つかったので、参考までにその試訳を掲げる。
 
 (フン族との戦いに、隊列を組んで歩を進める男たちの鈍い声が響く:) 
   ああ、わが人生も半ばを過ぎたにすぎない!
   死に神の使いがわれわれに絶えずつきまとう。
   後ろ盾として頼みにできるのは、あなたをおいて誰がおろうか。
   おお主よ!犯した罪の裁き手よ!
   聖なる神よ!
 
 (するとライヒェナウの修道士たちが別の側からそれに応えて歌う:) 
   わが父祖たちはかねてよりあなたを待ち焦がれてきた、
   あなたはかれらの涙をぬぐってくれた。
   あなたのもとに彼らの叫びと呼び声が届いた、
   あなたは父祖たちを玉座から振り捨てることをしなかった。
   強大な神よ!
 
 (左右の声が一緒に鳴り響く:)
   無力感がわれわれを襲うとき、見捨てないでください!
   勇気が萎えるとき、われわれ皆の支え杖となってください;
   死に神の餌食にわれわれを委ねることの無いように、
   慈悲深い神よ、われわれの盾であり、頼りである神よ!
   聖なる神、強大な神よ!
   聖なる慈悲深い神よ、われらをあわれみ給え!
   
 原曲の楽譜が手元にないので、歌詞が同じ詩文であるかどうか確かではない。作曲上の理由からだろうか、少なくとも一部改変がみられる。「犯した罪の裁き手よ(Richter)!」が「報復者(Rächer)」に変えられている。

 作詞者安田二郎(福永陽一郎)の歌詞は内容的には原詩と同じではないが、当たらずとも遠からずと言ったところだろうか。

 「グリークラブアルバム1」(カワイ出版)所収の楽譜には英語表記があるので、英米で出版された楽譜をもとにしたのかもしれない。
バス部の冒頭に「ザンクトガレンの修道士たち」、テノール部のはじめに「ライヒェナウの修道士たち」の但し書きがある。これは上に掲げた詩文に対応している。
なお、この楽譜では、Reichenan とあるが、Reichenau の間違い。

 この詩の舞台である十世紀にはすでに、ザンクトガレン修道院とライヒェナウ修道院があった。スイスとドイツにまたがるボーデン湖近くにあるこの二つの修道院は、今日ともに世界文化遺産となっている。

 合唱団の仲間が慶應義塾大ワグネルと早稲田大グリーの合同演奏の録音を探してくださった。ネット上にはアメリカの公演記録(複数)もあるので、この曲は過去には良く歌われたものと思われるが、YouTube では見つからなかった。

 今は男声合唱団ならでは、といった曲は好まれないのかもしれない。