2014年2月10日月曜日

男声合唱曲「祈りの歌」


 所属する合唱団で、ブルッフ(Max Bruch 1838-1920)の「祈りの歌」の練習に入った。「グリークラブアルバム1」(カワイ出版)所収の男声合唱曲である。

 ブルッフはドイツのケルン生まれ。ヴァイオリン協奏曲で名前が知られているが、合唱曲も多数作曲している。
「グリークラブアルバム1」では、題名がMedia Vita 「祈りの歌」とあるが、原題は Media Vita   Schlachtgesang der Mönche (戦いに臨む修道士たちの歌)となっている。
ラテン語 ”Media Vita” は人生の半ば、くらいの意味であろうが、自信はない。全く違っているかもしれない。

 さて、作詞者は安田二郎とある。この名はグリークラブアルバムの編者のひとり、著名な合唱指導者 福永陽一郎のペンネームで、「オーラ・リー」などの訳詞も手がけていて、作詞者、訳詞者としてはこのペンネームを使うようだ。

 ところで、原曲の歌詞だが、ネットにある原曲楽譜のサンプルを見ると、ヨーゼフ・ヴィクトァ・フォン・シェッフェル Joseph Victor von Scheffel(1826-1886)の名があげられている。シェッフェルは以前は結構読まれた作家だが、今は二三の作品を除いてはあまり読まれないと思われる。1855年に発表された小説『エッケハルト』Ekkehard10世紀スイスのザンクトガレンの修道士の名)に出てくる詩をもとにブルッフは作曲したのだろう。

 ネットで探したところ、原詩が見つかったので、参考までにその試訳を掲げる。
 
 (フン族との戦いに、隊列を組んで歩を進める男たちの鈍い声が響く:) 
   ああ、わが人生も半ばを過ぎたにすぎない!
   死に神の使いがわれわれに絶えずつきまとう。
   後ろ盾として頼みにできるのは、あなたをおいて誰がおろうか。
   おお主よ!犯した罪の裁き手よ!
   聖なる神よ!
 
 (するとライヒェナウの修道士たちが別の側からそれに応えて歌う:) 
   わが父祖たちはかねてよりあなたを待ち焦がれてきた、
   あなたはかれらの涙をぬぐってくれた。
   あなたのもとに彼らの叫びと呼び声が届いた、
   あなたは父祖たちを玉座から振り捨てることをしなかった。
   強大な神よ!
 
 (左右の声が一緒に鳴り響く:)
   無力感がわれわれを襲うとき、見捨てないでください!
   勇気が萎えるとき、われわれ皆の支え杖となってください;
   死に神の餌食にわれわれを委ねることの無いように、
   慈悲深い神よ、われわれの盾であり、頼りである神よ!
   聖なる神、強大な神よ!
   聖なる慈悲深い神よ、われらをあわれみ給え!
   
 原曲の楽譜が手元にないので、歌詞が同じ詩文であるかどうか確かではない。作曲上の理由からだろうか、少なくとも一部改変がみられる。「犯した罪の裁き手よ(Richter)!」が「報復者(Rächer)」に変えられている。

 作詞者安田二郎(福永陽一郎)の歌詞は内容的には原詩と同じではないが、当たらずとも遠からずと言ったところだろうか。

 「グリークラブアルバム1」(カワイ出版)所収の楽譜には英語表記があるので、英米で出版された楽譜をもとにしたのかもしれない。
バス部の冒頭に「ザンクトガレンの修道士たち」、テノール部のはじめに「ライヒェナウの修道士たち」の但し書きがある。これは上に掲げた詩文に対応している。
なお、この楽譜では、Reichenan とあるが、Reichenau の間違い。

 この詩の舞台である十世紀にはすでに、ザンクトガレン修道院とライヒェナウ修道院があった。スイスとドイツにまたがるボーデン湖近くにあるこの二つの修道院は、今日ともに世界文化遺産となっている。

 合唱団の仲間が慶應義塾大ワグネルと早稲田大グリーの合同演奏の録音を探してくださった。ネット上にはアメリカの公演記録(複数)もあるので、この曲は過去には良く歌われたものと思われるが、YouTube では見つからなかった。

 今は男声合唱団ならでは、といった曲は好まれないのかもしれない。

                               

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