2014年2月15日土曜日

「かれら」か、それとも「われら」か?    ー 「祈りの歌」続き


 先に、ブルッフの「祈りの歌」を話題にした。原題はMedia Vita - Die Schlachtgesang der Mönche 。今回はその日本語歌詞を取り上げる。

 所属する合唱団で、歌詞の理解を巡って疑問が出てきた。先に触れたように、日本語による「祈りの歌」は、原曲のドイツ語歌詞の訳詞ではなく、安田二郎(=福永陽一郎)によって作詞されたものである。

 疑問点は、ライヒェナウの修道士が歌う歌詞の中の「かれら」が、誰を指示しているのか、を巡ってである。その前段のザンクト・ガレンの修道士の歌では「われらと」一人称で歌う。それを引き継ぐライヒェナウの修道士の歌では唐突にも「かれら」と三人称の指示語に変わっている。歌詞の連続性を考えれば「かれら」は先のザンクト・ガレンの修道士を指示していると受け止めるほかない。しかし後段ではザンクト・ガレン、ライヒェナウ両修道士たちは声をそろえて「われら」と歌うのである。
 ところが、ライヒェナウの修道士が歌う部分の「かれら」を「われら」にすればすっきりとつながるし、全体の構成ともマッチする。わずか一字の違いである。
 誤植で「わ」が「か」になったことも考えられるので、念のため、合唱仲間から送られた録音、福永陽一郎指揮による早稲田グリーと慶応ワグネルの合同演奏を何度も聞いてみたが、その部分は「かれら」と歌っている。

 ところで、先のブログでは、原曲の楽譜がないので、シェッフェルの原詩の訳文を掲げておいたが、その後ネット上のサンプル楽譜(全体の60%)をもとに、欠けている歌詞を原詩で補って,原曲の楽譜を復元してみた。多分90%以上の確立で復元できたと思う。原曲楽譜が入手できればこんな手間をかけずに済むのだが、暇に任せてやってみた。やってみて、原詩はそのままはまることが解った。先に報告した原曲楽譜のRichter(裁き手)→  Rächer(報復者)を除いてはシェッフェルの原詩通りになる。
 
 余談だが、この変更は作曲上の理由からと思われる、と先に書いたが、もしかすると、作曲者のブルッフが手にした版ではRächerとなっていて、後に小説の著者シェッフェルが改訂版を出すときに、Richter に変えたのかもしない。意味的にはRichterの方がすっきりする。ベートーヴェンの「第九」合唱でも、男声合唱の部分で、Laufet …とあるが、現在われわれが入手するシラーの詩では、Wandert…となっている。これはシラー自身が後に変えたことに依る異同である。

 本題に戻るが、作詞とはいえ、原曲の歌詞をもとにしているはずなので、原曲にあたってみると、原曲歌詞では全体が一人称「われら」で統一されている。件のライヒェナウの修道士が歌う箇所の三人称「かれら」は「われらの父祖たち」を指している。一人称「われら」で歌っているのである。(参照:前ブログの原詩訳文)

 「グリークラブアルバム1」(カワイ出版)所収のこの楽譜でも、冒頭バスパートにザンクトガレン修道士、テノールパートにライヒェナウ修道士の注意書きを添えている。この事から作詞者安田二郎(=福永)はこの曲の構成を原曲に沿って歌うよう求めていると考えられる。
 英語表記していることから、氏がもとにした楽譜は英語版と推測される。すると歌詞は英語に依ったと考えられる。原曲、テノールパートの「かれら」は「われらの父祖たち」を指していて、これは取り違えることがないはずだが、もしかするともとになった英語の訳詞に問題があったのかもしれない。

 作詞なので、原詩から離れて自由に作詞したのだ、と考えることはもちろん可能だが、では何故に楽譜に原曲に従って、それぞれ「ザンクト・ガレンの修道士」、「ライヒェナウの修道士」と、この曲の構成上重要な但し書きを書き入れたのか説明が付かない。作詞の構成も原曲に沿って作られていることは明らかだ。それなら、たとえ作詞であっても、全体の構成を左右するわずか一字の違いも見過ごすわけにはいかない。

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