2013年11月12日火曜日

「埴生の宿」の精妙なる旋律


日本において世代間の違いの大きなものの一つに、学校で学ぶ音楽教材の違いが挙げられるであろう。以前ドイツ語学習の一助にと、「菩提樹」や「野ばら」などを教材にしたところ、メロディーを知らないものが結構いたことに驚いたことがある。掲題の「埴生の宿」は今の音楽教科書に載っているのだろうか。ネットで教科書掲載曲をざっと調べたところ、どうも見当たらないようだ。

原題”Home, Sweet Home" (「楽しきわが家」)はイギリスのヘンリー・ローリー・ビショップ(Henry Rowley Bishop, 1786-1855)による作曲、アメリカのジョン・ハワード・ペイン(John Howard Payne, 1791-1852)による作詞の曲。俳優でもあり、また劇作家でもあったペインが自作のオペラ『クラリ、ミラノの乙女』の中に組込んだ。以来、この曲は独立した曲として引用、編曲され演奏されてきた。

日本では早くも1889年(明治22年)に里見義訳詞「埴生の宿」として『中等唱歌集』に収められ、2006年には「日本の歌百選」の一つに選ばれている。おそらく50歳代以上の方なら学校でこの歌を歌った経験をお持ちであろう。
日本でもこの曲は映画でも使われ、古くは『二十四の瞳』、『ビルマの竪琴』、1988年公開の映画『火垂るの墓』(スタジオジブリ制作)の挿入歌として、聞くものの涙を誘ってきた。

筆者はこの曲にほろ苦い思い出がある。
ドニゼッティの歌劇『アンナ・ボレーナ』をビデオで見ていたとき、最後の二十分間のアリア・フィナーレで、タイトルロールのアンナ・ネトレプコが歌うアリアの中に「埴生の宿」、否、Home, Sweet Home の旋律が流れてくるではないか。浅はかにもこの時、ビショップさんはドニゼッティさんの曲をパクったと思い込んでしまった。たまたまその頃所属の合唱団で「埴生の宿」を練習していた。よせばいいのに、解った振りをして「この曲はビショップがドニゼッティのオペラの中のアリアをパクった」などと練習時に言ってしまった。
その後気になったので、あらためて調べたところ、オペラ『クラリ、ミラノの乙女』は1823年初演。一方『アンナ・ボレーナ』は1830年の初演。ということで、ドニゼッティが当時すでに親しまれていたビショップさんのこのメロディーを拝借したということになる。馴染みの旋律をオペラの中に流用することはよくあることと知っていたつもりなのに、その時は早合点。

歌劇『アンナ・ボレーナ』、舞台は十六世紀イングランド。アンナ・ボレーナは英語ではアン・ブーリンまたはアン・ボーレン。夫のエンリーコは英語ではヘンリー8世。ミラノでの初演の後、翌年1831年のロンドン公演では名前は英語読みにしたのだろうか。
それはともかく、二番目の妻として略奪結婚したエンリーコはすでに妻アンナには冷淡。アンナの女官ジョヴァンナに横恋慕していて、アンナは邪魔者でしかない。初恋の相手ペルシー卿と不義密通を図ったとの濡れ衣をアンナに着せて処刑の処断。何とも身勝手な暴君である。

ついでながら、アンナとエンリーコの間に生まれたのが、近世初期のイギリスで、政治的にも文化的にも時代を画する治世を行ったエリザベス1世である。メトロポリタン・オペラであったか、ウィーン国立歌劇場での公演であったか忘れたが、刑場につながれたアンナが女の子を抱いて出てくる場面があった。その子が後の偉大な女王になるエリザベス1世という演出であろう。

件のHome, Sweet Home の精妙な変奏旋律が流れるのは、囚われの身となったアンナが精神錯乱の中、アリア「なつかしい故郷の城に」を歌う場面である。
ドニゼッティは『ランメルムーアのルチア』でも”狂乱の場”で有名なアリアを歌わせている。アリアと”狂乱の場”はオペラでは相性の良い場面なのだろう。

筆者は「埴生の宿」を歌う本番のステージで、迂闊にもこの場面を思い浮かべてしまい、声が詰まり、その後歌えなくなったことがある。涙どころか、錯乱していては到底ドニゼッティのこの難曲を歌えないのは言うまでもない。

翻って、Home, Sweet Home にしろ、「埴生の宿」にしろ、これが歌うにふさわしい場面は故郷を離れたところにある。初等、中等学校の子どもたちには、理解が少し困難なのかもしれない。ただ、不幸にも震災と原発事故で家を失った子どもたちには切ない歌と映るのだろうか。

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