2017年6月13日火曜日

J. シュトラウスの「鍛冶屋のポルカ」を歌う

所属する合唱団の定期演奏会が近づいた。
本番に向けステージでリハーサルをしたが、まだ歌い込みと「振り」が不十分なのが気にかかる。
この度の演奏会では「シュトラウスを歌う」と題するステージが組まれ、若干の「振り」が加わった。
歌うのが精一杯の高齢者の、何とも様にならない仕草がお客さんの微笑を誘うことになればいいのだが。
「シュトラウス」ステージの一曲がヨーゼフ・シュトラウスの「鍛冶屋のポルカ」。本来器楽曲のこの曲を日本語歌詞の合唱曲として歌う(薩摩忠作詞。石丸寛編曲)。
全体の構成を担当する先生から、主役は歌なので、金床をたたく鍛冶屋は演出過剰にならないように、シンプルにとの注文が付いた。鍛冶屋役二人は試行錯誤を重ねて今日まできたので、戸惑いを覚えただろう事は想像に難くない。団員の中にはこのままでいいのではないかとの声も少なからずある。団長は苦慮するところだ。

あらためてYouTube 動画サイトで様々な「鍛冶屋のポルカ」を見てみた。おそらく鍛冶屋役の二人もこれらの動画を参考にしながら、自分たちの合唱団の「鍛冶屋」を作ろうと工夫を重ねたはずだ。
元来きまじめなクラシック畑の人たち、特に器楽分野の人たちは、音楽以外の要素が入ることに消極的であるようにうつる。それでもこの「鍛冶屋のポルカ」では、多くの場合鍛冶屋扮するところの打楽器奏者が嬉々として「演じて」いる。時には、オーケストラメンバー以外が演じているのではと思われるものもある。そこでは主役は完全に鍛冶屋だ。

ウィーンフィルの演奏では、ボスコフスキー指揮のウィーンフィル・ニューイヤーコンサート1971、クライバーの1992年、マゼールの1994年、近年では2012年のヤンソンス指揮のものが動画で見られるが、マゼールとヤンソンスは自ら金床をたたいている。クライバーの「鍛冶屋」は金床は単なる打楽器の一つと言わんばかりに、生真面目に正確に金床をたたいている。演出たっぷりなのは1971年のボスコフスキーで、鍛冶屋役の奏者はコスチュームも替え、大袈裟に金床をたたくと、その前のオケメンバーが驚いて飛び上がる仕草も加わる。ボスコフスキーは指揮台から客席を振り返り、「どうです、楽しんでいますかあ」言わんばかりの表情。三つを較べると、クライバーは客の注意が自らのパフォーマンスから離れるのを嫌っているかのようで、楽しさに欠ける。自分でもたたくマゼールは打楽器奏者との共演。ヤンソンスの2012年では指揮台の前に金床を置き、音を出すことがない指揮者も、この時ばかりは奏者の仲間入りと言った具合。

ウィーンフィル以外の演奏ではどたばたでコミカルな演出も見られるが、演出はほぼパターン化されている。クライバーのウィーンフィルがそうであるように、ただ打楽器奏者が正確にたたくだけのもの。奏者が、帽子を被り、前掛けをする、途中でビールを飲み、汗を拭く仕草を加えるもの(ボスコフスキーの1971年)。さらに金床の調音(実際は無理)。
演出に応じて用意されるものは、音程の異なる二つの金床、ハンマーの他、小物として、前掛け、帽子、ビール、タオル、さらにはピッチを調整するためのヤスリ、刷毛まである。特大のハンマーを用意する場合もある。

この度のリハーサルでも客席から金床のピッチが指摘された。ウィーンフィルのは特注で作らせたのだろうと思うほどだ。ピッチの問題を演出に取り込んでいる動画もある(ピッチを合わせるために、金床を削る仕草をする)。
われわれの演奏会のために用意した金床は団長が鉄道会社に掛け合ってもらい受けてきたものだが、昔は田舎ではどこの家にもレールを切った金床があったものだ。ホームセンターに行けばアンヴィルが売っているが、たたき較べるほど多くは置いていない。

さて、指導の先生は主役は歌とおっしゃるが、この度の歌詞の内容から見ても鍛冶屋が主役でもいっこうにおかしくない。日本語題名が「鍛冶屋のポルカ」だからではない。この命名は誰によるものなのかは知らないが、ドイツ語はFeuerfest。「耐火の」と言う意味の形容詞。中国語でもこのポルカを「耐火的」と呼んでいるようだ。
この曲の解説にあるように、工具メーカー経営のWertheim が盗難に遭い、それをきっかけに耐火金庫の開発・発売を開始、累計20,000個販売を記念して、ヨーゼフ・シュトラウスにこの曲の作曲を依頼、お祝いの舞踏会で作曲者自身の指揮による初演が行われた。Feuerfest 題されたのも、この金庫の発売に先立つ宣伝として、コンスタンティノープル(イスタンブール)で、耐火金庫の耐火公開実験を行ったことにある。

ドイツ語 Fest は名詞としては「祝宴」の意味でもある。そのため、ウエブサイト中には、Feuerfest を英語でfire festival と訳しているものがあるが、これは間違い。しかし、派手な金床の音が主役のこの曲は祝祭的な響きを持っているように感じられる。そう考えると、クライバーの「鍛冶屋」はあまりに行儀の良い、退屈な演奏に感じるのだが。


                                                                 2017-6-13  

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