2020年5月26日火曜日

コロナ禍の「新しい生活様式」〜養蜂を夢想する

「新しい生活様式」などというと、そこになにがしかのウキウキ感があるはずだが、コロナ禍にあっては新鮮さも期待感も全く湧き起こらない。
この生活スタイルでは、これまでできていたことが全否定されるというほどではないにしても、別の手段手法だったり、他の活動への転換を迫られる。我が合唱もそうしたことの一つだ。
今一部でリモート合唱が試みられているが、それが合唱のあり方として定着するようには思えない。結局オンライン飲み会で憂さを晴らすことになりかねない。
ここまで書いてきたことを読み返してみると、否定表現の羅列に気がつく。そう、コロナそれ自体が人間に対してネガティブに働きかけるものだからだ。

何がきっかけだったか思い出せないのだが、コロナ禍で家に籠ることが多くなってから蜂蜜に興味を覚えるようになった。蜂蜜は特段目新しいものではない。健康美容にも良いとして日常的に口にする人も多いだろう。
思い返せば母親が病弱だったせいだろうか、子供の頃一時期我が家では1、8リットル瓶や一斗缶(18リットル)の蜂蜜を買っていた。
花の季節になると通学路に蜂箱が置いてあるのは見慣れた光景であった。蜂に刺されたことも一度ならずあったから、蜂蜜の甘美さには時にトゲを感じることもある。

この天然の甘味料はいったいいつまで遡るのだろうか。8000年前と推定されるスペインの洞窟絵画に蜂蜜を取る様子が描かれているそうだ。(ルーシー・M・ロング「ハチミツの歴史」 クマも愛する蜜の味を人類原初の時代から味わっていただろうことは容易に想像できる。
採集では自然の恵みは安定的に手に入らない。当然養蜂の歴史が始まるのだが、これがいつまで遡るのか。養蜂の歴史は巣箱の歴史ということになるのだろうが、先の図書によると古代エジプトの時代から作られてきたという。
他方日本はどうだろうか。ネットなどでは日本の養蜂の歴史は7世紀からとある。これは少し不思議に感じる。日本人は長い間この蜜の味を手に入れるのに採集に頼ってばかりいたということだろうか。今日の養蜂箱を見ると7世紀以前の日本人が作れなかった、思いつかなかったとは思えない。少し乱暴な言い方をすれば、養蜂は蜂に気持ち良く巣箱で営巣するように仕向けるものだろう。巣箱に構造の複雑さは必要ないように見える。ならばなぜ我が祖先は7世紀に至るまで蜂箱を作らなかったのか。
世界の蜂蜜に関わる民俗が教えることによれば、蜂蜜が単なる甘味料として食する物だけでなく、宗教儀式と結びついたり、洞窟絵画に見られるように紋様として描かれたりされてきた。日本の民俗誌に蜂や蜂蜜がどのように記されてきたか寡聞にして知らない。

日本列島には二種類のミツバチが生息しているわけだが、セイヨウミツバチは近代に養蜂とともに日本に入ってきたと考えていいだろう。一方在来種のニホンミツバチはいつから日本に住み着いたのだろうか。日本の石器時代以前から住み着いていたのなら、なぜ養蜂が7世紀以降と遅かったのか。あるいは古文書に記述がないだけで、もっと早くから養蜂が行われていたのかどうか。遺跡の発掘物の中に養蜂につながる出土品がないのだろうか。

しかしセイヨウミツバチ同様、渡来人によってもたらされた養蜂共々外から持ち込まれたとしたらどうだろう。菅原道夫氏によると日本書紀に「百済太子余豊がミツバチを奈良の三輪山に放して飼育した」という記事があるという。つまり日本のミツバチの歴史は渡来人による養蜂とともに始まり、それが野生化したのがニホンミツバチ、ということになる。また菅原氏によるとニホンミツバチと韓国に生息する東洋ミツバチは遺伝子的に大変近いそうだ。(菅原著「比較ミツバチ学」)もしそうだとすれば日本における養蜂の始まりの遅さの説明になる。

いまニホンミツバチ養蜂を趣味にする週末養蜂とか都市養蜂がそれなりのブームだそうだ。これなら実益も得られるのでコロナ禍で一層盛んになるかもしれない。
筆者はといえば、養蜂を夢見ながら冬籠りするクマというところか。



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