2013年10月3日木曜日

Psalm 98 (詩編98)を歌う


筆者が所属する男声合唱団は、今県合唱祭に向けて「詩編98」の練習をしている。
前回の練習時に、最年長の団員H.W.さんが、歌詞を、わかりやすい漢字かな混じり文に直して、メンバーに配った。お陰で、今ひとつ意味が通らなかった部分が明らかになり、解りよくなった。

この曲は合唱曲集「グリークラブアルバム1」(カワイ出版)にも掲載されていて、男性合唱曲としてはよく知られたものだが、編曲者平田甫の名があげられているのみで、原曲が誰に依るのか全く解らないので、インターネットを使って少し調べてみた。

手がかりを与えてくれそうなのは「さえらのすし」さんのWEB サイトだ。同志社大学グリークラブ出身の「さえらのすし」さんによると、この曲は同グリークラブの定番曲の一つとのこと。編曲者平田甫は同グリーの第3代指揮者。
平田甫氏がグリー50周年記念誌に寄稿していて、その文章を抜粋で紹介している。ここにそれをそのまま引用する。なお、同志社大学グリークラブの創設は1904年までさかのぼる。

「ある日平安教会で堀内清氏が横浜か何処かで手に入れられた謄写版刷りの一曲。美しい礼拝向きの混声曲。相当変化はあるし、讃美歌ばなれをして居る。勿論不相応なことは判って居る(中略)。まるで追われる様にして編曲したのが此の詩篇第九十八(中略)。曲が礼拝向で実に美しいが演奏会には少し地味すぎる(中略)。神戸の青年会で歌った時に、試みに終りをオクターブ上げて、フォルテシモにして見た。それまではピアノでアーメンを歌っていた。」

同WEB サイトには、古い手書き合唱曲集の書誌もあって、「Choir Book」というタイトルの曲集の13番目に、「詩の九十八」(詩編98)の楽譜が掲載されている。この曲の楽譜の下には「神戸教会聖歌隊 1923.9.16」と書き足してある。この曲集表紙にも「神戸組合教会聖歌隊発行 第三版」とあるので、少なくとも関東大震災と同年1923年か、それより前に横浜の教会や神戸教会、さらに京都の平安教会では歌われていたということになる。おそらくこの楽譜は、平田氏の証言を考え合わせると、現在われわれが手にする平田甫編曲による男性合唱曲以前の混声原曲のすがたをとどめていると考えていいだろう。

しかし、これまで調べた範囲ではまだこの曲の来歴に関しては不明のままである。
日本基督教賛美歌委員会によって1997年に編纂・出版された『賛美歌21』にも、ざっと見たところのっていない。上記平田氏の文に「横浜か何処か云々・・・」とあるので、日本で最初のプロテスタント教会である横浜公会(現在の日本キリスト教会・横浜海岸教会)がまず念頭に浮かぶ。そのあたりが出発点か。
筆者は当初、この曲は欧米で作曲され、それが宣教師か讃美歌集の楽譜で日本にもたらされ、日本語に訳された、と考えた。しかし訳詞にしては旋律と日本語がとても良くあっている。日本語歌詞が旋律に乗せるために意訳をほどこされたとは見えない。日本語が実に無理なく旋律に乗っている。先に日本語テクストがあって、それに曲を付けられたように見える。
そのように見ると、この曲は欧米などで作曲されたのではなく、例えばプロテスタント系の教会関係者が日本語詩編98をもとに作曲して、それがガリ版刷りで広まったと考えたほうがいいかもしれない。
YouTube でさまざまな、大半は欧米の「詩編98」を約50曲ほど視聴してみたが、当該の旋律の曲に出会うことはなかった。筆者の持てる手段ではもはやお手上げである。この先は讃美歌学の専門家に尋ねるか、欧米由来も考慮して欧米の当ジャンルの楽譜や文献に当たるほかないだろう。

親しまれていながら、存外その来歴がよく知られていないものが結構あるものである。この曲もその一つだろう。
このブログを読まれた方でご存じの方はご教示ください。

旧約聖書「詩編98」はもちろん日本語訳で読むことが出来る。以下はその日本語テクストである。訳は岩波書店版、「旧約聖書」全15冊の第11巻、松田伊作訳によった。( )はその訳注である。

詩編 98
 (その救いの業を見た全世界に、主ヤハウェへの喝采を促し、自然界とともにそ  
  の来臨を待ち望む、民の歌。)

うたえ、ヤハウェに、新しい詩を。
不思議な業をかれが行ったからだ。
かれを救ったのはかれの右手と
かれの聖なる腕。
ヤハウェはかれの救いを知らせ、
諸国民の目にかれの正義を顕した。
かれは思いを起こした、
イスラエルの家への
かれの恵みと信実を。
地の隅々までことごとくが見た、
われらの神の救いを。

凱歌をあげよ、ヤハウェに、全地よ。
ほがらかに歓呼し、ほめ歌え。
ヤハウェをほめ歌え、琴を持って、
琴とほめ歌の声とをもって。
喇叭と角笛の音とをもって
凱歌をあげよ、ヤハウェ王の前に。

どよめけ、海とそれに満ちるものは、
大地とそれに住むものら[も]。
諸々の河は掌を打ち鳴らし、
山々もともに歓呼せよ、
ヤハウェの前に、かれが来るとき、
地を裁くために。
かれが裁くように、義をもって大地を、
公平をもって民らを。


全部で150編からなる「詩編」の創作年代は正確には分かっていない。数百年間に及ぶ時間的広がりを持つとみられる。作者も不明である。「詩編」の書の成立は前2世紀~後1世紀と見られている。
詩編は、祭儀などにおいて集団で歌うことを前提にしたもの、あるいは個人の祈りの中で唱えられるものなど、いくつかの類型に整理する試みがなされてきた。内容的には当該「詩編98」がそうであるように、神に対する賛歌が多いが、民や個人の嘆きの歌、感謝の歌、王の詩編、巡礼歌など、一義的に祭儀に結びつけるのには無理がある。今日では非祭儀的な朗読用の「祈りと思索の書」と見る見方が優勢のようだ。

英語や独語では「詩編」をPsalms;Psalter, Psalm というが、これらの語源には「讃歌の書」の意味がある。なお、英語では語頭のps-, pt- のpは発音されないので、[サーム] と発音されるが、ドイツ語 Psalmは[プサルム] と発音する。

15世紀頃までは、詩編は教会旋法に基づいて歌われてきたが、ジョスパン・デプレが初めて詩編テクストを用いてモテットを作曲している。ルターやカルヴァンの宗教改革以降はプロテスタント系の教会において、ラテン語に依らずに、英語、仏語、独語のテクストをもとに作曲され、詩編歌集が次々に生まれた。ルター自身詩編をドイツ語に訳し、作曲している。「詩編98」には、後にメンデルスゾーンも曲を付けている。

YouTube を視聴すると、創作詩編歌が今も生まれていることがうかがえる。90年あまり前の日本でも、オリジナルの詩編歌が作曲されていたとしても不思議ではない。


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